とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

キリスト教の真実

●「日本人はキリスト教になじみがないからその本質がわからない」のではなく、「反キリスト教」のバイアスのかかった「西洋史」を学んできたからわからないのである。(P008)

 「まえがき」の一節である。『「反キリスト教」のバイアスのかかった「西洋史」』とは、キリスト教世界の新興勢力であるプロテスタントが自らの正当性を説明するため、必要以上にカトリックを貶めたことを指している。その結果、われわれは、中世は「暗黒の時代」、蒙昧なカトリックという認識=誤解を持ってしまった。だが、キリスト教は実は古代から中世、近代へと知を継承していく上で、重要な役割を果たしてきた。そのことを、キリスト教がヘレニズム文化に果たした影響、知の継承に果たしたカトリックの役割、誤った中世史観の誕生の経緯などを通して順々に説明していく。
 さらに第3章以降では、政教分離と市民社会、自由と民主主義、資本主義と合理主義のそれぞれについて、カトリック国とプロテスタント国とを比較しつつ、違いを指摘する。そこで描かれるのは、蒙昧と思われているカトリックが実は、政教分離を唱え、信教の自由を支持し、普遍主義を基本としているという事実である。
 筆者の竹下氏は東大で比較文化論を学んだ後、渡仏し、現在もフランスに在住する文化史家である。フランス生活が長いため、カトリック国であるフランスに傾倒する傾向があるようにも思うが、アメリカ型のご都合主義キリスト教に辟易とする昨今、竹下氏の主張には傾聴する価値がある。
 ただし、ダラダラと論旨がつながり、いつしか違う話題に飛んでしまう部分も何度かあり、正直かなり読みにくかった。女性らしい文章というべきか。なので、何となくわかった気になっているかもしれない。面白いのだけれど、蒙昧な私の頭では何について書かれているのか、途中でモヤモヤとわからなくなってしまう。2度3度読み返してようやく理解した部分も少なくない。けっこう読み終えるのに時間がかかってしまった。

キリスト教の真実―西洋近代をもたらした宗教思想 (ちくま新書)

キリスト教の真実―西洋近代をもたらした宗教思想 (ちくま新書)

●通説的な世界史の記述では、「ユマニスム」に到達する人間中心主義は、ルネサンス期において古代ギリシャを再発見したことで得られたと考えられている。だが、そうした歴史理解は断じて間違っている。・・・「ユマニスム」は、「神から自由意志を与えられた人間が、自分の良心に従って行動を選択し、神の国の建設に参加する」という、キリスト教の内在する神と人とが連帯する世界観の帰結として得られたものなのだ。(P046)
●「民主主義」の概念には「多数決」に従う、というものがあるが、フランスを含めた、「カトリック否定型」の近代を作ってきた国の大きな特徴は、「多数決」よりも「普遍理念」が優先される普遍主義にある。(P129)
●すべての「主義」と同じように、民主主義は時と場合によって意味を変え、役割を変え、姿を変えていく人間の活動指針の一つである。・・・あらゆるイデオロギーは支配者の「独善」を正当化する道具として「私物化」されていく。ヨーロッパにおいて「民主主義」が、アメリカにおけるほど「金科玉条」として崇められておらず、時として揶揄されるのは、「キリスト教の神」の栄枯盛衰を見て、戦ったり折り合いをつけたりしてきた歴史から学んだ結果なのである。(P164)
プロテスタント国型の思想家が、聖書やキリスト教の中にある「不合理」な部分を人間の持つ実存的な恐怖や無知によって心理学的に説明しようとしたのと違って、カトリック国型の思想家は、キリスト教のメッセージの中から「普遍主義」につながるものを抽出して、合理主義に耐える寛容な新宗教たる「理神論」を展開していった。思想が「神学」から「哲学」へと舵を切ったのだ。(P196)