とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

町づくろいの思想

 筆者が「あらたにす」に2008年8月から1年半にわたって連載していた時評コラムに、その後2011年、2012年に各紙で書いたコラムを加えた。森まゆみと言えば「谷根千」だが、2009年に終刊していたことを知らなかった。それはさておき、本書に収録されたコラムの多くは東日本大震災前のもので、八ッ場ダムかんぽの宿などについて書いているのを読むと、ずいぶん昔のことのように思う。政権交代直後の民主党から今はずいぶん変わってしまった。
 まちづくりや建築物保存等に関するコラムも多い。基本は普通の人々の目線で見ること。その暮らしに寄り添うこと。そのためには自らが普通の人であること。大工をめざす息子のことや自身の原田病ことなどは、森まゆみも私と同じにすっかり中年、初老になりつつあることを窺わせる。身体が思うように動かないながら、感性だけは変わらずにいる。時代に乗り遅れているというなかれ。時代はめぐって筆者の元に戻ろうとしているやもしれぬ。
 東日本大震災以降のコラムが9編。いずれも静かな怒りがほの見える。「東京スカイツリー異議あり」は、ここまではっきり反対を唱える主張は見たことがない。確かに私も「スカイツリー異議あり」に賛成。「越後・粟島のおじいさん」など、昔と未来をつなげて考える秀作も多い。

町づくろいの思想

町づくろいの思想

●超高層の林立する、暮らしの見えない町になって人はしあわせになるのかしら。・・・「フランスから招いた雑誌の編集者は「東京はなんと人間サイズの街なのか」と感嘆していました。事務所の隣に理髪店、さらに書店と飽きさせない。人間の感情を具体的に見せてくれる街だというのです」と語っている。/私にはこの東京論の方がよほどしっくり来る。(P14)
●「地域は活性化でなく沈静化しなければならない」とは島根県の百姓、佐藤忠吉氏の名言だが、・・・本当に安らかで楽しい集落に回復するまで、実力とアイディアのある元気な集落支援員を長期に派遣し、金ではなく知恵を出し合うことが望まれる。(P74)
●私はこの仕事で人の話を聞く楽しさ、それを活字で残す大切さに目覚めた。それが世代をつなぎ、記憶を継承するということだ。とはいえ私一人でできることは限られている。みんな自分の身の回りにいる人の話を聞き、記憶を記録に換えてくれないか。「一人の老人が死ぬのは一つの図書館がなくなること」というではないか。(P106)
●反社会勢力につけ込まれないためには一般社会と付き合い、彼らに守られることである。まさに「人は石垣、人は城」である。(P163)
●アートばかり見ていると、そこらへんのガレージや半鐘や農機具すら何だかアートに見えてしまう。そしておおかたの作品は自然に負け、そこにはじめから必然性をあって存在する農機具にすら負けてしまうのだ。(P176)