とんま天狗は雲の上

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未来の社会学

 社会学者をしていると「日本の、世界の未来はどうなるのか?」と聞かれることが多々あると言う。本書は未来の社会について語った書物ではなく、未来はこれまでどのように意識され、現在、未来はどのように捉えられ、どのように捉えていくべきかを考えた論文だ。そのため、過去に遡って、未来はどう捉えられてきたかを膨大な研究や言説から紐解いていく。正直、その過程はかなり難解だ。
 第1章では、そもそも時間とは何か?を問うていく。そして第2章では、未来はいかに捉えられてきたか、さまざまな未来について検討する。そこで取り上げられるのは、真木悠介であったり、大澤真幸であったり、もちろん諸外国の哲学者などの書物も多く取り上げられる。かなり難解でほとんど理解できていないが、未来とは単に過去と現在に続く時間の中にある出来事というだけでなく、その未来をどう捉えるかというのは、それぞれの文明社会において実に多様だ。
 第3章「近代における未来」では、過去から現在に至る延長線上としての、進歩と発展の先の未来というなじみのある未来を検証する。しかしそれは18世紀以降にたどり着いた特殊な時代の出来事だったのだ。それ以前は、未来は過去の中にある。安定した過去の累積の中に反復し、循環する未来が当たり前のものとして理解されてきた。しかし、そうした近代的未来は、資本制=ネーション=国家という擬制の中で、個人の未来は社会や国家に取り込まれ、集合的な未来として囲い込まれていく。
 ようやくたどり着いた第4章「未来の現在」はしかし行き詰った未来だ。集団的な未来像は個人の未来を食い破り、個人の未来は集合的未来の中に閉塞されていく。未来主義は個人を押し殺した末の社会の未来だ。我々はそこから逃れたいと思う。しかし個人の未来は与えられない。自ら進んでいくしかない。そして個人の未来は現在の中にある。「本当にリアルなものは現在しかない」。
 最後の最後で筆者は、現状の未来と現在に閉じ込められた状況から脱出する方法について語る。しかしそれは個人に委ねられている。「希望とは・・・」との書き出しで始まる最後の文章は、結局、未来は個人が切り開いていくものだということを言うに過ぎない。まさに未来はそれぞれの個人の中にある。そもそも未来とは、個人の意識の中にあるものだから、実は当たり前のことなのだ。社会が希望を与えてくれる時代、それはもうとっくに過去のものとなってしまったのだ。そのことをもっと深く実感する必要がある。

未来の社会学 (河出ブックス)

未来の社会学 (河出ブックス)

●「未来の時間」も「未来の事物」も「未来」には存在しない。それらはいずれも現在時のなかの人びとの予想や予期や想像のなかにあり、そうした予想や予期や想像をする私たちが生み出す社会意識と、それを前提とする私たちの意志と営みのなかにある。(P56)
●近代における現在は、それが「未知の未来」へと進む時間であることによって有意味なものとして了解されている。現在の意味は、それがより進んだ未来に進んでいく中間段階であることであり、そうした現在の意味は、人類や国家や国民の歴史が過去から現在へと進歩し、発展してきたことによって支えられている。集合的な進歩主義は、集合的な歴史主義なのだ。(P127)
●大地のように長期的に不変の安定性をもつ過去、その安定性の上に類似した出来事が未来においても反復し、循環して生じるような過去に代わり、一定の趨勢をもって非同一的な変化を続けてきた過程としての過去が、現在と未来をそのさらなる展開として意味づける。・・・そこでは、過去から現在へと進歩し、発展してきた過去の歴史を知っていることが、現在以降の未来に向けても進歩や発展が続くであろうことを、そしてそれによって到来する未来が現在よりもよい、進んだ社会であろうことを、客観的にではなく集合的な主観性において根拠づけている。この意味で進歩は近代的な歴史における伝統なのだ。(P163)
●歴史の時間のなかで失見当識になった社会と個人にとって、本当にリアルなものは現在しかない。・・・だがその現在は、ローマ人たちが考えていたような”変わらない現在”ではない。それは、つねに少し先の未来へと急かされ、それへの対応を迫られる「差し迫ったこと」としての現在だ。そこで支配的なのは、進歩や発展の過程で到達するとされる長期的な未来・・・ではなく、現在のすぐ先の未来である。・・・こうして私たちは、かつてあったような未来が現実味を失った現在を生きている。だが、そもそも未来がそうした現実味をもったこと自体、人間の歴史のある時期の変動と、それを受けた社会の体制による歴史的な出来事だったのだ。(P213)
●今日、未来主義と現在主義が私たちを閉じこめているとしたら、それらとは別の仕方で未来と現在、そして過去を考え、新しい時間の地形と風景を見いだし、その地図を獲得することによってしか、私たちはそこから出ることはできないだろう。/希望とは、いま・ここにない未来ではない。希望とは、私たちを閉じこめている現在と未来から抜け出す時間の地形と風景を作り出し、その地図を携えて歩いていくことのできる人間のことなのだ。(P215)