とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サル化する世界

 ここ数年の間、筆者が様々な媒体に寄稿したエッセイ等を集めたもの。ブログに掲載されたものもあれば、文春オンラインでのインタビュー記事もある。中でも、姜尚中とのトークセッションで語った「比較敗戦論」と、東京私学文系教科研究会での講演録「AI時代の英語教育について」は長く、かなり丁寧に、戦後の問題、そして英語教育について論じている。

 それらも興味深いが、現在の日本社会における政治や経済の不調に関する議論は、直接自分にも関わることとして、やはり耳目を惹く。「『戦後民主主義の申し子』であったはずの団塊の世代が、戦後民主主義を扼殺してしまった」(P44)。その結果、登場したのが「日本社会全体の『株式会社化』」(P45)だという下りも興味深いし、「日本の政治文化を…もう一度豊かなものにするためには…『気まずい共存』を受け入れ…てゆくしかない」と書くのも理解はできる。ただし行うに難し。

 経済システムは自存しているのではなく、「その活動を通じて人間が成熟するような仕組みで…であることが必須」(P256)というのはなるほどと思うし、「公的なものは私人が作り出す」(P270)というのは、筆者自ら凱風館で実践していることでもある。

 どのエッセイを読んでも面白い。ただし、エッセイ集なので、全体としてまとまってあることを訴えているわけではない。いや、訴えているのは、日本社会はもうそろそろ終わりの時を迎えつつあるということ。たとえ日本社会が大きく毀損し、燃え尽きたとしても、「日本にはまだまだ豊かな『見えざる資産』があります」(P325)という言葉には勇気づけられるが、それを活かしていくためには、それなりの覚悟と努力が必要だ。もっとも、どんな人生であっても安楽に一生を終えることはない。ただ流されるのではなく、目の前のことに対して常に真剣に考え、判断し、行動していくしかない。私自身、易々とサルにはなりきれそうにもない。

 

サル化する世界 (文春e-book)

サル化する世界 (文春e-book)

 

 

○成熟するとは変化することである…という古代からの知見が棄てられて、変化しないこと、ずっと「自分らしく」あり続けることが…社会的承認を得るための必須の条件になった。…そうやって、日本社会がずいぶんと「息苦しい」ものになった。…今の日本社会に瀰漫している「生きづらさ」はこの社会の仕組みそのものが「生物の進化」に逆行しているからだというのが僕の考えです。(P9)

○僕たちは民主主義を徹底させてみたら、民主主義的な組織はもたないということを暴露してしまった。…僕たちが要求したのは、ある種の「実力主義」であり、「成果主義」であり、制度や組織の力を借りずに、独力で欲望を実現できる一種のアナーキーでした。…戦後民主主義が崩れ始めて、日本社会を統合する組織原理が見失われ始めたときに…新しい「統制力」が思いがけないところから登場しました。/それが日本社会全体の「株式会社化」です。(P44)

○日本の政治文化が劣化したというのは、シンプルでわかりやすい解をみんなが求めたせいなんです。…それをもう一度豊かなものにするためには、苦しいけれども、理解も共感も絶した他者たちとの「気まずい共存」を受け入れ、彼らを含めて公共的な政治空間を形成してゆくしかない。…この割に合わない仕事を誰かが受け入れていかない限りデモクラシーの成熟はないんです。(P102)

○経済って結局は人間が動かしているんです。システムが自存しているわけじゃない。…経済システムが健全で活気あるものであるためには、その活動を通じて人間が成熟するような仕組みであること、せめてその活動を通じて国民的な希望が賦活されていることが必須なんです。…金儲けの目標が自己利益と自己威信の増大だけでは、人間たいした知恵も沸きません。何のために経済活動するのか、その目標を見失ったので…どんどん落ち目になっている。(P256)

○パブリック・ドメインを作り出すのは、実は政府や自治体のような「パブリック」ではなく、「私人」であるというのが僕の経験的確信です。…私利の追求を抑制し、私有財産の一部を差し出すことで、はじめてそこに「みんなで使えるもの」が生まれる。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。…公的なものは私人が作り出すのです。(P270)