新型コロナ対策にあたり、中国ではGPSやスマホアプリを利用して感染者の移動状況等を追跡・把握し、感染拡大予防に効果があったという。一方で、かねてから中国政府は、監視カメラやスマホ等を通じて国民の行動や言動を管理し、人権侵害を繰り返す監視国家だという指摘もある。中でも、新疆ウイグル自治区での少数民族を対象にした強制収容等の強権的な措置については、各国から批判も多く出ているところである。こうした状況に対して中国国民はどう感じ、何を考えているのか。便利になるのであれば、多少のプライバシー侵害も許容するのか。それがすなわち「幸福な監視国家」の意味なのか。
ということで、中国における個人情報取得と監視体制の状況を明らかにし、批判する内容の本だと思って購入した。確かに、スマホ等による個人情報の収集と利用の現状についてもしっかりと書かれているが、それ以上に、そうした中国の状況を見つつ、それが単に中国などの独裁国家だけの問題ではなく、IT化が進む中、日本も含む民主主義国家においても進行しつつある問題だということについて考察を進めている。中でも日本は、欧米のような成熟した市民社会が形成されていない中で、功利主義的な考えがますます大きくなってきており、監視国家化に向かう可能性は高いのではないかと警鐘を鳴らす。
経済学者の梶谷懐氏とジャーナリストの高口康太の共著だが、中国の現状取材と紹介は高口氏が担当し、それを踏まえて、社会学的観点から梶谷氏が考察を重ねる。特に後半の梶谷氏担当の部分はやや難解ではあるが、市民社会の形成・成熟の如何に関わらず、ITテクノロジーが現代社会の政治社会制度に及ぼす可能性について指摘しており、興味深い。ひょっとして、今回のコロナ禍はこうした傾向を一段と推し進めるのかもしれない。コロナ禍が過ぎ去った後、世界の政治社会状況は大きく変化するだろう。これを個人情報の取得と活用という視点で見てゆくことは大いに必要であるし、意味がある。
○私たちもグーグルやフェイスブックに多くの情報を提供することで優れたサービスを享受していますが、中国ではさらに多くの情報を渡し、さらに多くの利便性を得るという形で、より積極的な取引が行われているのです。…プライバシーを守ることと、便利さや安さをどうバランスするかという判断を、私たちは求められているということです。(P54)
○独裁国家は民主主義国家ではありませんが、それでも民意を無視できるわけではありません。むしろ、選挙で正統性を担保されていない分、民主主義国以上に世論に敏感という側面があります。究極的には暴力的な弾圧を行う力と選択肢を持っていたとしても、民衆は独裁政権を支持しているという建て前を可能な限り守る必要があるのです。(P126)
○不可視化やゲーミフィケーション、ネット世論監視システムは、旧来型の言論規制とは異なり、一般ユーザーにほとんど存在を感じさせないか、あるいはインセンティブを与えることで行動を促すようなつくりとなっています。/もう一つ…重要な問題があります。それは「ネットの大衆化」です。…以前は、社会問題を批判糾弾する書き込みであふれかえっていた中国のネット食う間は、現在ではエンターテインメントを中心とした世界に一転しています。(P136)
○中国社会においては往々にして…「政治的権利の平等」を要求する立場が…「経済的平等化」を要求する声にかき消される…という状況が生じてきました。/経済面での「平等化」、すなわち再分配を行うには大きな国家権力による介入を必要とします。したがって、経済面における「平等化」の要求は…パターナリズムを容認し、強化させるほうに働きがちです。…デモ行動や陳情行為が、しばしば高い政治的地位にある「慈悲深い指導者へのお願い」の形をとるのはその象徴です。(P165)
○テクノロジーの急速な発展とそれを使いこなす高い「人格」を兼ね備えた主体としての共産党の権威の強化、さらにはその権威を付与する儒教的価値観の強調という…現象は、決して中国で孤立して起こっているのではなく、テクノロジーと人間社会の在り方をめぐる世界的な動きとシンクロしつつ生じていると考えられ…、決して他人事ではなく、より大きな「近代的統治の揺らぎ」として、人類に共有されつつある今日的課題として捉えるべきではないでしょうか。(P207)