とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「老害」に寄せて

 森元首相の発言を契機に、「老害」という言葉が話題になっている。でも、「老」=「害」ではなく、「老人が害をなす」から「老害」であって、役に立つ老人なら「長老」、役に立たねばただの「老人」。障害者を「生産性がない」と言って殺したり、「LGBTは生産性がない」と言った政治家がいたが、ただの「老人」も消費するばかりで、大した生産はしていない。

 では若者がどんな生産をしているかと言えば、誰も社会に対して大して生産的なことはしていないようにも思う。労働のほとんどは「ブルシット・ジョブ」だし、生産した子供も大して社会の役には立たない。結局、人間と言っても、他の動物と変わらず、「食べて、排泄して、生きて」いるだけの生命体だ。「食べて、排泄して、生き」るために、働いている。遊んでいる。眠っている。

 私が今の仕事で、社会に対してどんな役に立っているのか定かではないが、もうしばらくすると第二の定年を迎える。そうすれば大手を振るって、生産現場から離れられる。「生産性」という言葉から自由になれる。そうだ、もうしばらくすれば私も、「生産性のない」ただの老人だ。「老害」とならぬよう、静かに「余生」を過ごそう。誰も探してはならぬ。私はいない。生きてはいるが、そこにはいない。見えない。そういう「ただの老人」に私はなりたい。