とんま天狗は雲の上

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勇気論☆

 久し振りに、いい内容の、内田樹本に出合った。「勇気とは何か」。この問いを巡って、編集者と往復書簡を繰り返す。いつものように、内田樹の思考は、本題から離れて、その時に思い付いたことを綴る。「勇気と正直と親切は同じ一つの人間的資質の三つの異なる現れ方だ」(P168)。そしてしばし、「正直」と「親切」を巡っての思考が続く。「勇気」はどうしたのだろう。だがそれでも、最後の9通目には、「勇気とは何か」という本題に帰ってきた。

 そもそも、編集者の古谷氏の目に留まったのは、週刊金曜日に内田氏が書いた「『いまの日本人に一番足りないものは何ですか?』と訊かれて、とっさに「勇気じゃないかな」と答えた」という一文。確かに、いま日本人に最も足りないものは勇気かもしれない。付和雷同し、多数派でなければ落ち着かない人のなんと多いことよ。

 自分に自信をもって孤立を恐れないこと。それが「勇気」。そしてそれは同時に、「他者が他者であることに耐える力」。かと言って、けっして唯我独尊の勧めではなく、自分の自信に対して常に懐疑的であること。たぶんそういう強さも必要なのだと思う。私にも少しは勇気の欠片があるだろうか。ありたいと思う。少しの勇気でも、それを大事にしておくことがこれからの時代に、真に求められる時があるかもしれない。

 対談本ではなく、往復書簡形式で本を作る。その方がより深い内容の本になる。本書を読みながら、そういうことも感じた。

 

勇気論

勇気論

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○勇気とは実践的には「孤立を忘れないこと」です。「恐れ」というのは情緒的なレベルでの出来事です。…でも…人が孤立を恐れずにいられるのは、自分の考えていること、主張していることは「筋が通っている」と叡智的に確信できているからです。/つまり、勇気を持つというのは…感情的な自己統御と、論理的な思考力を二つながらに要求する事業だということになります。(P34)

○「だまされること自体がすでに一つの悪である」という伊丹のこの言葉は…僕は傾聴すべき知見だと思います。/「人を見る目」があれば、相手が政治家であれ…宗教家であれ、簡単にはだまされない。「人を見る目」を養い…「信用できない人間は信用しない」という見識を肚にしっかり納めておけば「日本人全体が夢中になって互いにだましたりだまされたりしていた」というような無残な事態は避けられたはずです。(P72)

○「コミュニケーション能力」というのは、すでにコミュニケーションの回路ができあがっているところから始めて、自分の言いたいことを滑らかに伝える能力のことではありません。そうではなくて、まだコミュニケーションが成り立っていないという状況を初期設定として受け入れて、そこから手立てを尽くして、他者との間にコミュニケーションの回路を立ち上げることです。ゼロベースでコミュニケーションの回路を立ち上げる能力のことを「コミュニケーション能力」と呼ぶ。…コミュニケーションは「ゼロベース」の仕事なんです。(P285)

○人間の暴力を駆動しているのは「何だかわからないもの」に対するこの嫌悪と恐怖なんです。あらゆる戦争も、差別も、ジェノサイドも、起源までたどると、「他者が他者であることの不快」に耐えられない人間の弱さにたどりつきます。/勇気はこの弱さとまっすぐに向き合い、自分を少しずつ強くするための足場です。他者が他者であることに耐えることのできる力です。(P287)