とんま天狗は雲の上

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「風評被害」ではなく「風評非難」ではないのか

 福島県産や茨城県産の野菜、水産物などが「風評被害」によって売り上げが大きく落ち、売れても市場価格が大きく落ちている。ペットボトルの買い占めが起こり、諸外国からは工業製品等についても放射能測定結果の証明が求められるという。
 大変な事態ではあるが、これらをすべからく「風評被害」と呼ぶには抵抗がある。
 「風評」とは、デマのことだ。日本語を英語由来のカタカナ語で説明するのもヘンな感じだが、そういうことである。念のため国語辞典を引くと「世間であれこれ取りざたすること。また、その内容。うわさ。」とある。おお、なるほど。goo辞典にはその下に「風評被害」まで並んでいる。そこには「根拠のない噂のために受ける被害」とある。そうそう、「根拠のない噂」である。
 原発周辺で栽培された野菜等から高濃度の放射線が検出されたのは事実である。現在出荷されている野菜等については、抽出検査の結果、基準値を下回っているのも事実だと思われる。同時に、出荷されている野菜の全てについて放射線量の測定をしたり、放射線量の測定結果が表示されていないことも事実である。
 こうした状況の中で、何を購入するかは消費者の自由のはずである。
 私は「茨城県産の野菜は放射線汚染の可能性があるから口にすべきではない」という「噂」を聞いたことはない。メディアではもちろん、ブログやメールでも。多くの主婦もそうだろう。結局、茨城県産の野菜はアブナイというのは、「根拠のない噂」ではなく、「自主判断」である。なぜなら「噂」というのは他人から聞かされるものであり、そんな噂は流れていないのだから。
 「放射線は子どもに特に悪い影響が出るから、少しでも危険があるものはなるべく避けるようにするわ」という自己判断を聞かされた者はいるだろう。「少しでも危険があるものは避けるようにする」というのは間違った行動だろうか? 私はそうは思わない。もちろん過保護につながる可能性はあるが、放射線を浴びる可能性を少しでも避ける行動を「過保護」と非難するのは間違っている。
 しかし、世の中、女性の方がより安全な行動を取る傾向にあるのは確かなようである。「琥珀色の戯言:原発離婚!」ではそんな男女の行動の違いを考察していて興味深い。そしてブログ主の感慨に激しく同意する。
 そう、主婦たち、女性たちは間違っていない。危険なものは避けるべきである。そして「避けること」があまりに経済的や肉体的に負担となるときに初めて、その行動の合理性について比較考量すればいい。
 無理してコウナゴを食べる必要はない。他に食べることのできる魚はある。無理して福島県産の野菜を食べる必要はない。愛知県産を食べればいい。愛知県産まで放射線測定をするというのは非合理的な感じがする。
 「それでは福島県茨城県の農家はどうなってもいいのか」と言われるかもしれない。しかしそれは政府が考えるべきことだろう。すなわち被害補填を行ったり、農業疎開を行うなどの対策を講じるべきだ。それでは復興経費が足りないと言うかもしれない。だからと言って、「風評被害」という言葉で「自主判断」する国民を非難するのは間違っている。それこそ「風評非難」ではないのか。「風評非難」をすることで、復興経費の削減を狙っている。それはまるでいつかの「自己責任」非難を思い出させる。
 とは言っても、原発の影響で産業が大打撃を受けているのは深刻だ。菅首相が「10年20年は戻れない」と言ったとか言わないとかで騒いでいるが、そうなる可能性はあるだろう。だからこそ、私は「産業疎開」について英断すべきではないかと考えている。いや、たぶんしばらくすると、若い世帯を中心に、いつまでも産業再建されない南東北地方から他地域へ自主的に移住する動きが表面化すると思っている。そして残されるのは、高齢者などの生活弱者ばかりになるだろう。そうなる前に、生活弱者から先行して疎開移住を進めるべきだと思うのだが・・・、高齢者たちには受け付けてもらえないかもしれない。たぶん今の政府にもそんなことはできないだろう。そして日本の衰退がはじまっていくのかもしれない。