とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

名古屋 地名の由来を歩く

 タイトルから名古屋各地の地名の由来を解説した本だとばかり思っていた。ところが、冒頭に「名古屋」の由来が述べられた後は、名古屋の名所案内になってしまった。「第1章 英傑のふるさとを訪ねる」「第2章 神社から歴史を探る」「第3章 知られざる名古屋の寺院の魅力」「第4章 名古屋の街並みを歩く」「第5章 近代の物づくりの町 名古屋」。ここまで取り上げられた名所は36か所。熱田神宮、真清田神社、国府宮大須観音甚目寺荒子観音、笠寺観音、鳴海宿、有松宿、佐屋宿、四間道、白壁・主税・橦木町、則武、瀬戸、常滑、七宝・・・。地元の人間も知らないトリビアもあるが、期待した内容とは違ってやや飽きてくる。
 ようやく地名の由来が語られるのが「第6章 名古屋のおもしろ地名」と「第7章 名古屋近郊の地名」。取り上げられるのは、八事、鶴舞御器所味鋺、猪子石、極楽、振甫町、道徳、呼続、枇杷島、犬山、桶狭間、小牧、長久手。振甫町が張振甫という中国帰化人から付けられたというのは知らなかった。今も張振甫の子孫の振甫さんが墓の管理をしているそうだ。
 しかしそれでも冗長。暇なときにパラパラと見る分にはいいのだろうが、まとめて読むのはちょっと辛い。タイトルに騙されたというのが偽らぬ感想だ。

名古屋 地名の由来を歩く (ベスト新書)

名古屋 地名の由来を歩く (ベスト新書)

奈良時代の初期、元明天皇は各地の風土記を編纂するに当たって、それまでまちまちだった地名を「二字佳字」にせよという政策を実施した。・・・例えば「泉」の国だったものを、あえて「和泉」としたのは、 二字佳字政策の結果である。そう考えると、この「名古屋」は全国に知られた地名としては例外的な存在といえる。(P16)
●もともと織田家のルーツは越前国織田庄で、織田氏は当時越前国の守護の斯波氏に仕える身であった。ところが斯波氏は応永7年(1400)ごろ、尾張国の守護を兼ねることになり、そんな事情から当主の織田常松が移ってきたことが尾張における織田家の始まりだといわれる。(P33)
饒速日尊は「日の本」一族で、我が国号の「日本」の由来となった神と考えられている。/この真清田神社はまさに「日の本」の流れを汲む神社であったということになる。さらに由来書によると、この神は大和国葛城山麓「高尾張邑」から出、神武天皇33年3月3日に、尾張国の当地に御静まりになった。この「高尾張邑」から「尾張」という地名が生まれたとされている。(P90)
●黒川は庄内川に架かる水分橋の付近から取水し、三階橋付近で伏越樋によって矢田川の下をくぐり、辻町に出て南西に流れている。黒川は、愛知県土木課の黒川治義技師の設計によるもので、その功労者の姓をそのまま「黒川」と命名されたといわれている。(P170)
●「辻村用水」の「辻村」(今は「辻町」)は、黒川樋門から数分の近くにある「羊神社」がその由来といわれている。『延喜式』にも「山田郡羊神社」とある古社で、この「ひつじ」が転訛して「辻」になったといわれている。(P172)
饒速日尊は「日の本」の神であり、「日本」という国号の発祥でもある。物部氏は大和を追われ、この東海地方を平定し、やがて東国から西国までを治めるに至る歴史上の隠れた名族であった。(P228)