とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

想像ラジオ

 「いとうせいこう」って評論家だとばかり思っていたが、本来小説家でもあったらしい。出版後、ネットや新聞の書評欄で絶賛されていた。さっそく図書館にリクエストして予約が回ってきた。そして想像どおり、死者と生者をつなぐ「想像ラジオ」は心に残る放送を聴かせてくれた。
 東京での音楽プロデューサーの仕事を引き上げ、妻とともに東北の実家近くのマンションに帰ってきた日の午後、ベランダで煙草を吸おうとした時に津波が襲った。波に巻き上げられ、高い杉の木のてっぺんに引っかかったまま、死ぬに死に切れず「想像ラジオ」の放送を始めたDJアーク。彼の放送には同様の多くの死に切れない死者たちがメールや便りを送られてくる。彼らの死に様、生き様を紹介しつつ、妻や子供への愛を語るDJアーク。そして生者の中にもその声を聴く者たちがいる。
 全5章のうち、間の2章と4章はそうした生者からの応答の物語だ。被災者の死者への思いとの対峙に悩むボランティア活動に携わる若者たちの論争。想像ラジオに触発されて生の向こう側に一人旅立った愛人と交歓する男の会話。
 アベノミクスだ、復興だ、原発再開だと先を急ぐ国やマスコミに割り切れない思いを残したまま、引き摺られるような日々を送っている。円安や賃上げの報道に浮かれるマスコミ報道に実感を持てぬまま、社会との乖離を感じる毎日。だが、本作品はそうした風潮に明確に警鐘を鳴らし、「死者と生者が一緒になってこそ未来は開かれる」と書く。確かにそうだ。
 悲しみをきちんと整理し、死者と心の底から向き合えるようになって初めて、本当の復興と未来がやってくる。そのことが軽妙な文体の中から確かに伝わってくる。残され生き続ける私たちを励ますとともに、東日本大震災の死者たちに送る心からの鎮魂小説である。

想像ラジオ

想像ラジオ

●亡くなった人が無言であの世に行ったと思うなよ・・・叫び声が町中に響き渡ったはずだし、悔しくてどうしようもなくて自分を呪うみたいに文句を垂れ続けた労使、熱くて泣いて怒って息を引き取るまで喉の奥から呻き声をあげたんだぞって。(P66)
●作家っていうのは、俺よくわかんないけど、心の中で聴いた声が文になって漏れてくるような人なんじゃないのかと思うんですよ。その場で霊媒師みたいに話すんじゃなくて、時間をかけてあとから文で。しかも確かにそれが亡くなった人の一番言いたいことかもしれないと、生きている人が思うようなコトバをSさんは、なんていうか耳を澄まして聞こうとしていて(P71)
●言われてみれば確かに僕はどこかで加害者の意識を持ってる。なんでだろうね? しかもそれは被災地の人も、遠く離れた土地の人も同じだと思うんだよね。みんなどこかで多かれ少なかれ加害者みたいな罪の意識を持っている。生き残っている側は。(P118)
●「死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。・・・亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」(P132)
●「生き残った人の思い出もまた、死者がいなければ成立しない。・・・つまり生者と死者は持ちつ持たれつなんだと。決して一方的な関係じゃない。・・・そして一緒に未来を作る。死者を抱きしめるどころか、死者と生者が抱きしめあっていくんだ。(P138)