とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

東京千夜

 石井光太氏のルポルタージュ「遺体」「津波の墓標」には強く心を打たれた。だが、海外の悲惨な生活を取材したものは、たぶん僕が他人事のように読んでしまうような気がして手が出ない。本書は現在の日本でたぶん日常的に起こっている出来事を淡々と記述する。病んでいる現在の日本の姿を。
 2題ずつ第8話まで。計16の出来事が紹介される。DV男性から離れられない女性。病気のためゴミ屋敷に住み続ける女。自殺の名所、青木ヶ原樹海の取材。高齢者の自殺。若く亡くなった子供のために奉納される婚礼人形とムカサリ絵馬。第4話「ある家の幻」は、石井氏が経験した霊的な体験を綴る。亡くなった祖父の話。憑霊ごっこをして遊ぶ同級生。
 HIV感染者の夫婦をつないだペットの話。両性具有者の投げやりな人生。ハンセン病患者たちの意外と人間的な日常と四国巡礼。中年女性障害者が望む生涯で一度だけのセックス。死を前に性へのかきむしられるような思いを語る17歳の少女。消防団員としての名誉話とは別に妻としての物語を抱いて生きる妻。離婚寸前から仲を取り戻してすぐに津波に妻をさらわれた男性。
 これらはいずれも石井氏が自ら取材し、体験したことを綴っている。悲惨で心を締めつけられる現実。だが石井氏の文章はどんな悲惨な事柄でも常にクールで簡潔だ。その乾いた文体がいっそう現実を露わにする。そしてだからこそ同時に石井氏の寄り添う温かい心が伝わってくる。
 石井氏には今後もさらに活躍をしてほしい。いや本当は石井氏の仕事がなくなるような日本であるといいのだが・・・。人間は実に悲しい生き物だ。

東京千夜 (一般書)

東京千夜 (一般書)

●高校を卒業したのは1995年のことだった。阪神淡路大震災につづいてオウム真理教地下鉄サリン事件があった年だ。まさに20世紀が終わりに近づき、世の中が大きく切り替わろうとしている最中だった。(P15)
●「だってあの人、私が我がままを聞いてあげなければ、他に誰からも相手にしてもらえないって思っちゃう。仕方がないじゃない」・・・二人が傷つけ合いながらも離れられないのは、お互い居場所がそこしかないとわかっているからなのだ。(P24)
●「そう。今、ご遺族は悲しみに暮れて何も考えられない状態なんだと思います。でも、あと10年、20年して亡くなったお子さんが結婚適齢期になったら、ご遺族は天国の子供の幸せを願ってムカサリ絵馬をつくりにいらっしゃることでしょう」・・・震災から10年、20年が経った時、メディアは被災者たちの心の傷に目を向けることはほとんどしなくなっているはずだ。そんな時こそ、よう子さんのような被災地に暮らす絵師がムカサリ絵馬を描きつづける必要がでてくるのではないか。(P114)
消防団員からすれば、幹部の佐々木さんは市民を助けるために水門を閉めようとして命を落としたと思いたい。だが、奥さんは、佐々木さんは妻である自分を守ろうとして帰宅途中に津波に巻き込まれたと受け止めたい。きっと遺された者は、それぞれの物語を生きていくことしかできないのだろう。だからこそ、消防団員は消防団員の物語の中で生き、妻は妻の物語の中で生きているのではないか。(P257)