とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

掏模

 サスペンスというのだろうか。それともハードボイルド。この種の小説を読んだことがないのでよくわからない。若いスリの男の日々を乾いた筆致で描いていく。スリの快感。組織に囚われ、絡まれていく。仲間との別れ。女と子供との出会い。そして塔。いつも塔が男を見ていた。
 成長し、スリとして一人前になると、いつしか塔は見えなくなる。だが死の直前、また塔が現われる。いつしかポケットに入っていたコインを人影に向けて投げた。救いは届くのだろうか。
 スリとは何か。他人の所有物を知られず盗む行為。他人の所有物は他人のものか、自分のものか。謎の男・木崎はまるで神のように他人の人生を支配し、快感に浸ると言う。神からいかに逃れるか。コインは何の象徴か。コインは光の中に投げられた。それは神の支配する世界? それとも・・・。

掏摸(スリ)

掏摸(スリ)

●遠くには、いつも塔があった。霧におおわれ、輪郭だけが浮かび上がる、古い白昼夢のような塔。だが、今の僕は、そのような失敗をすることはない。当然のことながら、塔も見えない。(P7)
●当時の僕は選択を目の前にした時、静止よりは動く方を、そして世界から外れる方を選んだ。石川の後ろを歩きながら、時間が自分の周囲で密度を持ち、何か生ぬるく弾力のあるものが、身体を押していくような気がした。佐江子の姿を思い浮かべ、地下通路を出た時、今まで気づかなかった鉄塔があった。それは上部を冷えた空にさらしながら、夜の中で立ち続けていた。(P42)
●「……光る、長いものが、外の高いところにある。・・・それは奇麗で、雲よりも高くて、先が見えない。それで思うんだ。私はあそこにはいけない。・・・凄く気持ちがよくて、いろんな価値を滅茶苦茶にして、私は感覚だけの存在になって、どうしようもなく熱くなって、そのまま消える……。光る長いものは遠くにあったけど、でも私は、満足しながらその破滅の下で死ぬんだ。(P96)
●俺は多くの他人の人生を動かしながら、時々、その人間と同化した気分になる。彼らが考え、感じたことが、自分の中に入ってくることがある。複数の人間の感情が、同時に侵入してくる状態だ。・・・あらゆる快楽の中で、これが最上のものだ。・・・この人生において最も正しい生き方は、苦痛と喜びを使い分けることだ。全ては、この世界から与えられる刺激に過ぎない。(P128)
●世界は硬く、強固だった。あらゆる時間は、あらゆるものを固定しながら、しかるべき速度で流れ、僕の背中を押し、僕を少しずつどこかへ移動させていくように思えた。だが、他人の所有物に手を伸ばす時、その緊張の中で、自分が自由になれるような気がした。自分の周囲を流れるあらゆるものから、強固な世界から、自分が少しずつ外れることができるような、そんな感覚を抱いた。(P156)