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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ヌメロ・ゼロ

 ウンベルト・エーコの最後の小説。5月に「プラハの墓地」を読んだばかりというのに、また新作を読めて喜んでいいのか、悲しんでいいのか。最後の小説ゆえか、歳のせいか、これまでの小説に較べればいくらか中篇で、内容的にもそれほど複雑で込み入った内容ではない。

 「ヌメロ・ゼロ」とは、第ゼロ号。新しい新聞を発行するにあたり、まず習作的にゼロ号を作ろうという形で動き始めた編集部だが、集められた記者たちは誰も一癖も二癖もある者ばかり。その中でも、ムッソリーニの影武者死亡説や各国諜報機関・秘密結社等による暗殺事件などの陰謀論を語る一人の記者が殺害され、恐怖におののく主人公。だが、所詮、マスコミはそんな報道ばかり。何が真実で何が嘘かわからない中で、人々は昨日・今日の生活を送る。

 そんなマスコミ批判、社会批判を紛れ込ませつつ、得意の陰謀論を縦横に書き連ねていく。だが舞台は1992年。これまでの作品に比べ、ずっと背景がわかりやすい。結末もホッとした気分で読み終わることができる。

 それにしてもこの作品の出版時には83歳。年齢はまったく頭脳に衰えをもたらさないことに感服する。80歳を越えてなお、LGBTや性愛について書けるとは。さすが知の巨匠。そしてエーコを亡くしてしまったことの大きさを思う。また気が向いたら、エーコの作品のいずれかを読んでみよう。個人的には「バウドリーノ」がいちばん面白かったかな。でもその前に「薔薇の名前」「フーコーの振り子」を再読したほうがいいのかも。

 

ヌメロ・ゼロ

ヌメロ・ゼロ

 

 

○私が1年間いかに懸命になって、あらゆる圧力から自由なインディペンデントなジャーナリズムを実現させようとしたか、それを書くんです。この冒険が失敗に終わったのは、まったく自由な媒体を誕生させることは不可能だったからだということを匂わせる。そのためには、あなたには想像も交え、理想化もして英雄的な抒情詩を書いてもらう必要があるんですよ。(P25)

○1971年にはマルタに、エルサレム聖ヨハネ騎士団が現れる。バッサラバの騎士団から分離したもので、それに高貴なる庇護を与えるのが、ラ・シャストレ公、デオル君主・侯爵のアレッサンドロ・リカストロ・グリマルディ・ラスカリス・コムネノス・ヴェンティミッリャ。現在のグランド・マスターは、カルロ・スティヴァラ・ド・フラヴィニー侯爵で、リカストロが没するとピエール・パスルーを参加させ・・・さらに、ベルギー・カトリック正教会大主教・総主教、エルサレム聖堂騎士団グランド・マスター、メンフィス・ミツライム統合の本源古式東方儀礼式・・・付け加えると、マグダラのマリアと結婚してメロヴィング朝の始祖となったイエス・キリストの子孫として、シオン修道会の会員になることも可能です(P69)

○問題は、新聞というのはニュースを広めるためではなく、包み隠すためにあるということだ。Xという事件が起こる。伝えないわけにはいかないが、そのおかげで当惑する人間があまりに大勢いる。そこで、同じ号に、ぎょっとするような大見出し記事を載せるんだよ・・・。すると、Xという事件も情報の大海におぼれてしまうわけだ。(P156)

○私たちはいつだって懐刀と毒の民だった。もう免疫ができているのよ、どんな話を聞かされようと、もっとひどい話を聞いているとか、あれもこれも嘘だとか言うんだわ。アメリカ合衆国やヨーロッパの半数くらいの国の諜報機関、イタリア政府、新聞が私たちをだましたのだとすると、BBCだってだましているのではないか? よき市民にとって唯一の真剣な問題は、どうやって税金を払わないですませるかということ。上で命令する連中が何をやろうとかまわない。どうせ甘い汁をすうことしか考えていない。アーメン。(P195)