とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

プラハの墓地

 ウンベルト・エーコが亡くなった。そして最後にこの長編を残していった。いかにもエーコらしい、陰謀と差別と汚辱と人間の弱さと深い洞察に溢れるこの小説を。「前日島」で初めてウンベルト・エーコの名前を知り、その後、「フーコーの振り子」「薔薇の名前」と遡って読み、5年前には「バウドリード」を楽しんだ。そしてそろそろ次の作品を、と望んだ頃にエーコ死去の報が。えっと思う間もなく、新作にして最後の作品、本書が刊行された。期待を持って読み始めた。そして期待に違わぬ面白さ。

 フリーメイソンユダヤ差別、悪魔信仰。絶対王政の時代から宗教と市民革命と共産主義が時代を翻弄し、イタリア統一普仏戦争フランス第三共和政の時代。ヨーロッパ社会が大きく変動を重ねた時代において、社会には陰謀論が蠢いた。主人公であるシモニーニ以外、ほとんどが実在の人物であり、史料からの引用であると言う。小説だが、歴史小説でもある。しかも裏社会の。どこまでが真実で、どこからが偽物かわからない。そんな世界がほんの100年前にはあった。

 いや、IT技術とインターネットの普及により「誰もが簡単に偽造できるようになった」現在、「シモニーニは私たちのあいだに存在している」と訳者の橋本勝雄氏は指摘する。確かにそうかもしれない。だからこそ本作品は現代社会において意味を持つ。ウンベルト・エーコは本書を遺作として残すことにより、現代社会に対して最後の警鐘を鳴らしたと言えるのかもしれない。

 

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

 

 

○革命のせいでわしらは神を信じぬ国家の奴隷となり、前よりも不平等になり、互いに相手にとってのカインのように敵対する兄弟となってしまった。自由すぎることは良いことではないし、必要なものをすべて所有するのも良いことではない。わしらの先祖は自然と直接触れ合っていたから、今よりもっと貧乏でもっと幸福だった。・・・好き勝手にさせたら悪事を働くのだから、人間を自由にはしておけない。どうしても必要な自由だけを君主が認めてやればいいのだ」(P64)

○こうして私は、陰謀の暴露話を売りつけるためには、まったく独自のものを渡すのではなく、すでに相手が知っていることを、そしてとりわけ別の経路でより簡単に知っていそうなことだけを渡すべきだと考えるようになった。人々はすでに知っていることだけを信じる、これこそが<陰謀の普遍的形式>の素晴らしい点なのだ。(P99)

○黄金がこの世界の第一の力だとすれば、第二の力はジャーナリズムである。我々はすべての国のあらゆる新聞の編集部を取り仕切るべきだ。ジャーナリズムを完全に支配した時には、名誉、美徳、清廉に関する世論を変え、家族制度に対する攻撃を開始できるだろう。目下の課題として社会問題に熱心に取り組むふりをする。プロレタリアートを統率して、我々の先導者を社会主義運動に潜入させて都合のよい時期に盛り上げる必要がある。・・・そうした騒乱のひとつひとつを通じて、我々は唯一の目標、すなわち地上の支配に近づくだろう。・・・それが、何世紀にもわたってイスラエルの民の唯一の運命であった卑しい境遇の代償なのだ。(P249)

○彼ら民衆は敵を必要としています。・・・だからユダヤ人なのです。・・・民衆に希望を与えるために敵が必要なのです。・・・貧しい人々に遺された最後のよりどころが国民意識なのです。そして国民のひとりであるという意識は、憎しみの上に、つまり自分と同じでない人間に対する憎しみの上に成り立ちます。市民の情熱として憎しみを育てる必要があります。敵は民衆の友人です。・・・憎しみが本当の根源的な情熱で、愛のほうこそ異様な状態なのです。それだからキリストは殺されました。自然に逆らって語ったからです。誰かを生涯愛し続けることはできません。そんな不可能なことを期待するから、不倫や母親殺し、友人の裏切りが生まれるのですよ……ところが、誰かを生涯にわたって憎むことはできるのです。(P402)

○我々のフリーメイソンが宣言した友愛の原則に従って労働者を愛するふりをして、その解放者の姿を装おう。労働者を蹂躙する者から解放するために来たと伝え、社会主義者、無政府主義者共産主義者からなる我らの隊列に加わるように勧めよう。しかしながら、労働者階級を搾取していた貴族社会は、むしろ労働者がしっかり食事をとり健康で丈夫であるよう配慮していた。我々の目的はその反対であり、異教徒を衰退させることだ。我々の権力は、たえず労働者階層を貧困と無力の状態にとどめておくという点にある。・・・我々はすべて手中に収めた黄金を利用し、あらゆる可能な非合法的手段を用いて世界規模の経済不況を引き起こそう。全ヨーロッパで、巨大な労働者の集団を貧困に陥れるのだ。そうすればこの群衆は、無知ながら幼い頃から妬んでいた者たちに喜んで飛びかかりその財産を奪って、血を流させるだろう。(P496)