とんま天狗は雲の上

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ことばの地理学

 「方言」の話である。「言語地理学」という学問分野があるそうだ。現在の言語地理学は1969年に柴田武氏が執筆した「言語地理学の方法」が元となっているが、新たな言語地理学は「ことばの地理的側面、すなわち、方言分布を対象とする研究を広く言語地理学とする」と訴えている。部外者からすればどうでもいい話だが、学問的世界の中ではなかなか大変なんだろう。

 それはそれとして、全部で9章。方言の分布や形成について説明する第8章、前述の言語地理学について説明する第9章を除いては、具体的に個別の方言について取り上げ、説明をする。各章は短いが、具体的かつ論理的で興味深い。第1章では、塩と共に運ばれた方言。第2章では、しかし北前船ではことばは伝播しなかったこと。そして第3章以降、言葉の活用形、敬語のあり方と自然観、敬語と家族制度、言葉の合理化としての変化、そして第7章では田舎言葉の代表と見られている「行くだ」「行くずら」について説明する。

 特に第7章の言葉は、三河地方の言葉でもあり、個人的にも興味があるが、実はこれらの言葉は都会の言葉が省略されたものではなく、逆に都会の言葉に先立ってあった、いにしえの言葉の名残だということが説明される。そうだろう、よかった。意外に三河方言には古代畿内で使われていた言葉が残っているのだ。畔(くろ)なんて典型だと思う。

 ということで、方言というと、このブログでも「へぼい じゃん・だら・りん まい・ひずるしい・おそがい よだるい・ぐろ」に対するアクセス数がけっこう多いのだが、個人的にも大いに興味がある。しかし学問として研究するとなると、活用形や敬語など、言語に対する基礎知識がベースになっているんだということがよくわかった。なかなか大変だ。でも部外者としてこうしたわかりやすい本があることはとてもうれしいし、楽しかった。

 

ことばの地理学: 方言はなぜそこにあるのか

ことばの地理学: 方言はなぜそこにあるのか

 

 

○交易があり、経済活動が行われたという点では、富士川北前船は共通している。ところが前者はことばを伝播したのに、後者はそれがなかった。・・・富士川を利用して運ばれたもので、もっとも重要な品は塩であった。内陸の人々にとって、塩の入手は生きる上で切実なことであった。実は、北前船も塩を運んでいた。しかしそれは・・・蝦夷地から上方に移送する漁獲物の保存処理のためであった。・・・生活必需品の運搬はことばも運んだが、利潤を追求する交易はことばの伝播に寄与しなかった。このような交流の質の違いがその差を生み出したのだろう。(P56)

○敬語は、大きく分けて尊敬語と丁寧語に分かれる。尊敬語と丁寧語の違いは敬意の対象が、述語の主体(尊敬語)か、聞き手(丁寧語)かというところにある。・・・尊敬語は文で決まり、丁寧語は場で決まるといってもよい。・・・その場にいる聞き手に対して用いる敬語は対者敬語、その場にいない人に対して用いる敬語は第三者敬語と呼ばれる。対者と第三者で扱いが変わることは、日本語の運用においては特殊なことではなく、むしろ一般的である。(P82)

五箇山にしても、秋山郷にしても人間の暮らしをとりまく自然環境は厳しい。その中で環境と対峙するのではなく、一体化する自然観により、暮らしを成立させてきた。五箇山の太陽を主体とする対者尊敬語、秋山郷の自然物を主体とする可能表現は、その自然観を反映している。(P94)

○「敬語」「尊敬語」という名称は、それが使われる側は、敬われたり、尊敬されたりと気分をよくする。しかし、(ほとんどの場合)使う側は(多分)敬ったり、尊敬したりなどしていない。それらで表されている人たちは、距離が置かれている、つまり隔てられているのである。勘違いしないよう、自戒としたい。(P110)

○標準語に存在するものが方言になかった場合、方言では脱落したと考えがちである。その発想の背景には、あるべきものがいなかにはない、訛った末に消えてしまったという先入観がないだろうか。・・・文献に基づく日本語の歴史では、古くは「の」が不要だったことが知られている。・・・「言うは易し、行うは難し」・・・などは、その名残である。この用法は・・・準体法と呼ばれる。・・・準体法は方言にもとから備わっているものであって、「行くだ」や「言うだ」は、「の」が脱落したものではないことは確かである。(P131)