とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

面白くて眠れなくなる日本語学

 筆者は「中国文献学」の研究者だそうだ。言語学者ではない、ということか。日本語の創造と変化や世界の他言語との関係など、日本語に関するコラム34編で構成されている。

 最も興味を持ったのは、本居宣長への評価。彼は古書を通じて、当時の状況を知るべく、当時の言語から研究したと言う。ただ、各コラムは3~4ページほどと短い。それで、尻切れトンボな話題もいくつか散見される。物足りない感が残る。

 「面白くて眠れなくなる」シリーズは他にも「数学」や「物理」「化学」など多く出版されているらしい。でも安心してください。夜、眠る前に読んだからといって、けっして眠れなくなることはありませんでした。でも、数日で簡単に読み終えてしまったのも事実。まあ眠る前にお気楽に読める本ということでした。

 

 

○「ハヒフヘホ」という発音は、奈良時代まで遡ると「パピプペポ」と発音されていたのです。/「パピプペポ」が、現代の我々が発音する「ハヒフヘホ」に変わるのは江戸時代になってからです。/「日本」という国号を「ニホン」と読むのがいいのか、「ニッポン」と読むのが正しいのかという議論がありますが、日本語の歴史から言えば、この議論はナンセンスです。/日本語に限らず、発音は変化するものだからです。(P020)

○「五月雨をあつめて早し最上川」では「ウォー」という叫びに似た驚嘆が「を」という助詞を生み出したという話をしましたが、「や」は、驚嘆、超越する時間感覚、詠嘆、親しみを込めた呼び掛け、断定など、あらゆる感覚を表す「音」なのです。…「や」とは、なんとも言えない湧き上がる感情を、「照り起り」して表現する、日本語に不可欠の「音」であり「文字」なのです。(P061)

皇国史観の人たちは…本居宣長の学問は「国学」の粋だという言い方で顕彰します。…じつは、宣長は、「皇国の事の学は、和学或いは国学などという習いなれども、そはいたく悪き言いざま也」…と言っているのです。…それでは、日本の古典研究を何と呼ぶのが相応しいと、宣長は考えたのでしょうか。「古学」です。…では、「古学」に宣長は何を求めたのでしょうか。/「すべて後世の説にかかわらず、何事も古書によりて、その本を考え、上代の事をつまびらかに明らむる学問也」(P109)

○日本語では、「誰が」「誰は」という主語は省くのがふつうです。/日本語には、昔から「言わなくても分かることは言わない」という原則があるからです。…「言うに及ばない」「言う必要がない」「言わずもがな」という「空気感」を読み取るような方法で、日本語は出来ているのです。/「主語」も「空気」も、すべて「感じること」、日本人が…世界に誇る芸術を創造できたのは、まさに日本語ならではの基本的な原則に基づいているものだったのです。(P193)