とんま天狗は雲の上

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AIで代替できる仕事って一体?

 AIがさらに進むと多くの仕事がロボット等に代替されると話題になっている。「AI代替の可能性がある仕事とは!?:sweeepマガジン」では、電車運転士や経理事務員が挙げられ、マニュアル化できる定常的な仕事が危ないと書かれている。だいたいこの種の記事では、バイトに任せられている仕事や、比較的給与が低い職業が挙げられることが多く、高学歴で高年収な仕事は大丈夫なように言われるのだが、本当かな? 例えば、投票をネットで行うようにすれば、国会議員や地方議員なんていなくてもかまわないかもしれない。判例をデータベース化すれば、裁判官や弁護士などももっと少なくて済むのかもしれない。

 そもそもこの種の記事では、仕事には必ず目的があり、そのための作業がどれだけマニュアル化できるかといったことを検討するのだが、実際には、達成すべき目標や成果以外のところに本当の価値があるということも少なくない。例えば、コンビニやファミレスでも、代金徴収や食事等の運搬はロボットでもできるかもしれないが、自然な笑顔や心遣いはマニュアル化された動きや音声などでは伝わらない。何が言いたいのかうまく表現できない客に対して、表情や身振りからそれを汲み取って対応することもAIではなかなか難しい。逆に、こうした類のことを切り捨て、ビッグデータ化された要素を対象に仕事をする管理業務などを、本部・本社で正規社員が担当していることが多いが、実はこれらの仕事は窓口業務よりもAI代替が容易いという気がしないでもない。

 なにより間違っているのは、人間ができることをAIやロボットで代替すれば、当然、人間作業の軽減化が図れるわけだが、これが人件費の削減につながるという発想がおかしい。そもそも人間がロボット作業をしているわけではなく、ロボットが人間作業の一部をするのだから、当然、ロボットではできない仕事は残っている。多少の人員削減は可能かもしれないが、ゼロにはできないはず。全てをAIで代替できる仕事なんてものはなく、一方でどの種類の仕事であっても少なからずAIで代替できる作業がある。しかし人間にしかできない仕事も絶対に残る。

 さらに言えば、こうした仕事は本来、時給には馴染まないのではないか。固定給を時間換算するということはあっても、「時給」と言った途端に、その時間だけ人間がロボット化してマニュアル仕事しかしないという意味になるような気がする。有名ブロガーのChikirinが「買い物にもセカンドオピニオンが必要な時代:Chikirinの世界」で、「日本の売り場もグローバルスタンダード化して、バイト店員は決められたことしかやらないようになってきた」という趣旨のことを書いていたが、そしてChikirin自身もよくわかっていて「そもそもバイトの仕事とは、そういうものなんです」と書いているが、このレベルのバイト仕事であれば、早くAI化した方がいい。そして人間の店員は、もっぱらセカンドオピニオン対応を行う。とすれば当然、この店員は時給ではなく、固定給(+時間外手当)であるべき。

 「AIで代替できる仕事」なんて発想自体が人間性を破損し、人間らしい暮らしや社会を否定する非人間的な考え方のように感じる。それよりも「AIやロボットがどれだけ進化しても、仕事がなくなることはない?:i-donuts」の方が人間的だし、より深く人間性について理解している。