とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

子どもからの卒業式

 日曜日に娘の高校の卒業式があった。自分の時は、大学受験のため、卒業式に出席しなかった。高校生にもなって卒業式に、それも両親そろって出席するというのはいかがなものかとも思ったが、日曜日でもあり、一度切りのこととて参加した。
 入学式もそうだったが、高校の行事となると、中学校までと違って、やたらと仰々しくなる。校長が代わった影響かもしれないが、壇上に大きな日の丸が掲示され、次第の項目のたびごとに、登壇者が日の丸と来賓と主催者席に拝礼をする。各クラス代表者への卒業証書授与に続いて、学業優秀者やスポーツ功労者に対する表彰(私立高校なので)、校長の長い送辞、来賓紹介、保護者の感謝の言葉・・・。いつもながら長い校長のあいさつには私も思わず寝そうになった。
 式典の後、中高一貫クラスだけ集まって、送る会が開かれた。担任の先生方のあいさつ。なぜかコブクロの「桜」を熱唱する某先生。ピアノを披露する某々先生。生徒から先生へ「担任を卒業したことを証する」卒業証書の授与。生徒から感謝を込めて「空も飛べるはず」の合唱。そして全員集合の写真撮影。涙と笑いの混じる感動のひととき。
 楽しい会の後は、コンベンション・ホールを借り切って、有志参加による謝恩会が開かれた。わが家は妻と娘が参加して、娘は卒業アルバムに寄せ書き集め。妻は先生方にお礼三昧。心底疲れたけど、有意義だったらしい。
 3年間。中学校から数えれば6年間。子どもにとってこの6年間は自ら成長する大きな意味を持つ時間だった。親にとってはそうした変化を驚き見守る期間だった。独り立ちしようとする意欲と危なっかしさを感じさせる今日この頃。ある意味、親にとってこそ重要な意味のある式典だったかもしれない。子どもからの卒業と言う。
 今日も娘は先週までと同様、制服を着て学校へでかけた。国公立の後期試験に備えた補習授業を受けるために。そんないつもと変わらない姿を見ると、卒業式は何だったんだろうと思わないでもない。でも受験が終わった後に訪れる時間は、きっと今までの夏休みや春休みに感じた時間とは異質なはずだ。それが最後の卒業の時間。高校の卒業式はそのための覚悟を促す前触れとしての式典だったのかもしれない。