とんま天狗は雲の上

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市街化調整区域の廃止について

 友人が久しぶりに大前研一の本を読んで、10年前は全てが正しく思えたのに、今回は賛同できない点がいくつかあったと話していた。「大前氏の基本的な姿勢は変化していないので、自分が年を取ったのか」と嘆いていたが、そうかもしれない。人間、年を取るほど保守的になる。もっとも保守的が全て悪いとは限らない。より深く社会にコミットして見えてくる事柄も多いだろう。
 具体的には、(1) 市街化調整区域の廃止、と(2) 外国語使用の勧めの2点が納得できなかったと言う。話題とした本を私が読んでいないので的外れの感想になるかもしれないが、友人の言葉に即して考えてみた。
 まず、「市街化調整区域の廃止」について。日本の都市計画制度は昭和45年に都市計画法が施行されて以来、地区計画制度や都市マスの導入など、多少の変化はあったものの、大きな思想的・構造的な制度変更をすることなく現在に至っている。
 この制度の元となったのは欧州諸国の土地利用規制制度で、特にドイツのBプラン・Fプランは有名である。「計画なきところ開発なし」という思想の下、国民共通の財産である国土(私有地も含めて)を合理的かつ効率的に活用し、また保全するため、詳細な土地利用計画を策定し、これに拠らない開発は排除するという考え方は、欧米では多くの国民に支持され、よく守られている。
 日本に導入されてもう70年も経つのだから、いい加減、国民感情として根付いていいと思うのだが、未だに日本では、土地利用の権利は所有者が独占的に保有するという考えが国民の一般感情として優勢であり、都市計画は常に規制緩和の対象となってきた。
 昨今の住民主体の都市マス策定や市町村への権限移譲は、計画策定を国民(地権者)に近いところで行えば、「計画なきところ開発なし」という計画高権の理想により近づくという思惑があったものと思う。確かにその効果は徐々に現れつつあるようにも思うが、計画を作る必然性が本当の意味で国民(市民)に理解されているかと言えば、大いに疑問である。
 市街化調整区域の必要性の根本をたどると、①都市の経済力・成長力に見合った都市施設の整備・維持を行うエリアの確定【市街化区域】と、②当面、都市施設整備ができないエリアの開発抑制【市街化調整区域】という点に行き着く。しかし、都市施設整備をしないと宣言しているエリアであっても、それを前提とした上で、なおかつ開発を行いたいという地権者に対して、それを規制する理由はなかなか理解がし難い。
 もちろん、貴重な自然が残っている、公害発生の恐れがあるなどの明確な理由があれば、多くの国民は利用規制をすることに賛同するはずだ。だが実際は、市街化調整区域内に十分利用可能な道路が通っていたりするから、なぜ規制するんだという話になる。
 大前研一が言う「市街化調整区域の廃止」は、開発余地のある土地の規制緩和による民間活力の導入という意味だろうが、自然破壊や公害発生等のない開発であれば、たとえ市街化調整区域内であっても何も支障ないと私も思う。友人は、都心部の衰退を懸念していたが、市場原理に逆らって都心を保護しても、あまり良いことはないように思う。
 ただし問題は国や自治体の財政状況である。国の公共事業抑制は、人口減少という現実の前では意味がある。連動して自治体の都市施設整備も今後はほとんど進まないどころか、現状の施設の維持も厳しくなるだろう。
 市街化調整区域は、将来的には都市施設が整備され市街化区域となるという右肩上がりの時代の産物である。都市施設の整備を効率的かつ整序に進めるため、市街化区域と市街化調整区域に区分けして、順に都市整備を進めてきたのがこれまでの都市計画であった。しかしこれからは新規の都市施設整備は非常に困難になる。こうしたときに、既に整備されて利用可能にも関わらず、市街化調整区域だからという理由で塩漬けにされた土地があるとすれば、これをうまく活用しようと考えるのは全く自然なことと言わねばならない。
 だから、私は「市街化調整区域の廃止」には大賛成である。ただし、都市施設の整備はこれ以上進まないことを理解してもらう必要がある。公共施設(都市計画決定されていない道路も含めて)の整備と土地利用規制は分けて考えたらどうだろうか。
 具体的には、都市計画区域内において、自治体の財政状況に応じた(場合によっては、縮小・廃止と統合を前提とした)公共施設の整備計画を市民参加で策定し決定するとともに、市街化区域・市街化調整区域のいわゆる線引きを撤廃し、用途地域指定のみとする、といった形である。
 都市計画区域内は原則、開発は自由である。自由だけども、開発したからと言って、公共施設は計画に基づいてしか行われない。そうすれば、民間資本は経済的合理性に基づいて開発を進めようとするから、公共施設の整備計画に応じた開発が行われるだろう。用途の混在による環境問題の発生は、用途規制で対応する。そういう形で都市計画が行われれば、市民にも都市計画の意味がよく理解ができるのではないだろうか。
 これは一つの私案だけれど、これからの都市計画は、民間活力と市場原理を有効に活用していく視点が必要ではないかと思う。「市街化調整区域の廃止」という主張には、都市計画制度の根幹を揺るがしかねない発想の大転換が秘められている。従来の思想で一蹴または迎合するのは簡単だが、その意味をよく理解して都市計画制度の再構築を目指すべきではないかと思う。