とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

メディア裏支配

 田中良紹氏のブログ「田中良紹の『国会探検』」は、その分析力と視野の広さ、ぶれない姿勢・論調からいつも目を通している。最近は小沢擁護の立場からの主張が多いが、その正しさと強さには一目置いている。
 ブログに掲載された顔写真に見覚えはあるが、最近はテレビで見ることはほとんどない。元々はTBSで「報道特集」を担当し、その後、政治記者等を経て、91年に退職。(株)シーネットを設立し、CS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、その後電波を止められ、現在はブロードバンドで放送をしている。実は私は「国会TV」なるものを未だ見ていないので何とも言えないが、ブログの更新はいつも楽しみにしている。
 序章の最後に次のような記述がある。

●本書は日本のメディアを論じるものではない。一人の人間が体験してきたメディアの世界の事例を紹介するだけだ。今必要なことはメディアを表面的に論ずるよりも、「正しい情報」を押しつけてくるメディアの裏側を国民に知らせ、メディアとどう向き合うか。「正しい情報」を信じるのではなく、どう読み解くかを考えてもらうことではないだろうか。(P31)

 この記述のとおり、本書は田中氏がTBS入社から本書が発行された2005年までの半生と経験を書き連ねたものである。「第1章 視聴率という名の神」は「報道特集」を担当していた当時、そして「久米宏ニュースステーション」の開始で明らかになってきた、「視聴率」に翻弄されるTVメディアの「嘘」について書かれている。
 また「第2章 『記者クラブ』というギルド社会」では、司法・警察・労働省の各記者クラブでの経験が、「第3章 政治権力とメディア」では、政治部記者として「田中番」などを務めた当時の経験が綴られている。
 これらでも十分、その裏支配の権力争いの空恐ろしい状況が書かれているが、第4章以降はまさに本書の本論。日本の放送メディアと政界・官界の癒着と裏支配の構造について、赤裸々に暴露されている。
 アメリカと違って、いやアメリカだって十分酷いが、それでも守るべき正論が守られている国と違い、既得権益の擁護と支配の論理だけが大手をふるってまかり通り、多様な言論や知る権利をブルドーザーのごとく踏みにじっていくわが国の状況は、昨今のメディア批判の中ではわかってはいたことながら、今更ながら唖然とせざるを得ない。
 前述の引用にもあるとおり、この日本にあって、メディアといかに向き合い、どう読み解いていくかは、今に生きる我々にとって非常に大事なことである。そのことを改めて再認識させてくれる暴露本である。

メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史

メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史

●世の中に起こることは単純ではない。さまざまな要素が複雑に絡まりながら物事は起こる。現実を知るためには複雑なものを複雑なものとして受け止め理解させることが大事だと思うのだが、視聴率を意識した途端、テレビはわかりやすくするために複雑な要素を切り捨てて物事を単純化する。単純化によって事実とズレが生じる。少しのズレでもそれが積み重なると、事実と異なる「嘘」になる可能性がある。(P57)
●国民に向かっては日本社会の閉鎖的構造を批判してみせる新聞とテレビだが、実は新規参入を認めない既得権益中心の社会構造の真っ只中に君臨している。プロ野球と違って誰も報道しないから国民は知らないだけだ。/日本に議会制民主主義が芽生えた頃、秘密主義の政府に対して取材を要求するため、新聞社が団結して作った記者クラブは、百年余を経て既得権益を守るための組織となり、同時に政府に管理されやすい談合の組織と化しているのである。(P122)
●反主流派を担当する記者のほうが圧倒的に多くの情報を得ることができる。反主流派は主流派が主導する政治の流れを阻止するために、記者に対してどんどん情報を流し、世論を自分たちに有利にしようとする。しかし権力を握っている側は、言いたくとも言えないことが山ほどある。情報が漏れれば仕掛けが壊れてしまう。だから記者を騙すことはあってもなかなか真相は口にしない。主流派を取材するほうが苦労は大きい。(P169)
●世界では視聴率を競い合う地上波テレビと視聴率を追求しない多チャンネル放送の世界が棲み分けて、多チャンネル放送の世界には新規参入の扉が開かれているのである。/ところが日本のメディアはそうした流れと逆行する方向に歩き始めた。新規参入を認めずに業界が集中化していく方向である。いずれテレビ局同士の合併再編が始まる。そのために総務省はすでにメディアの「集中排除の原則」を緩和しようとしている。強い者がより強くなり、弱い者はそれにぶら下がって生きていく構図だ。(P265)