とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ふしぎなキリスト教

●近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまなアイデアや制度や物の考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程だった。(P4)

 近代化のベースにはキリスト教がある。だからまずキリスト教についてよく知ろう。というコンセプトで、社会学者の大澤真幸が、宗教社会学者の橋爪大三郎に「キリスト教とは何かを問う」という形の対談である。
 第1部は旧約聖書の世界、第2部は新約聖書の世界、そして第3部はキリスト教と西洋との関係について明らかにする。
 帯には「起源からイエスの謎、近代社会への影響まで、すべての疑問に答える最強の入門書」と書かれている。確かに、「イスラエルの民」はどんな人々だったのかとか、預言者と律法学者と祭司の関係とか、なず偶像を崇拝してはいけないのかとか、奇蹟とは何かとか、愛と律法の関係とか、キリスト教だけでなくユダヤ教イスラム教との関係まで幅広く取り上げ、懇切丁寧に解説をしている。
 本書でなるほどと思ったことも多いが、同時に説明の難しい事柄には、かならずしも明晰に答えを提示しているわけではない。橋爪大三郎の考える答えというのも少なくない。
 しかし本書の最大の目的は、キリスト教の解説ではなく、キリスト教がいかにして西洋文化に影響したかを説明する点にある。神の存在を確信していたからこそ自然科学が誕生した。科学だけではない。哲学も政治も経済学も、キリスト教の背景があって誕生している。キリスト教エートスの上に成り立っている。
 最後の節では、こうしてキリスト教に由来する西洋文明がそれとは異なった宗教的な伝統を受け継ぐ文明や文化と混じり合うことで、今後、どのように変容していくか、というのが次の主題として提示されている。月並みと言えばそうだが、その意味でもまずはキリスト教の考え方を十分意識してかつ血肉化しておく必要がある。そのための入門書である。間違ってもキリスト教に近付くための入門書ではないので、間違えないように。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

●そこで人間は、「神様、この世界はなぜこんなに不完全なんですか」と、Godにいつも語りかけ、対話をしながら日々を送ることになる。・・・これが、試練ということの意味です。試練とは現在を、将来の理想的な状態への過渡的なプロセスだと受け止め、言葉で認識し、理性で理解し、それを引き受けて生きるということなんです。信仰は、そういう態度を意味する。/信仰は、不合理なことを、あくまでも合理的に、つまりGodとの関係によって、解釈していくという決意です。自分に都合がいいから神を信じるのではない。自分に都合の悪い出来事もいろいろ起こるけれども、それを合理的に解釈していくと決意する。(P79)
●日本・・・ほど幸運な場所は、世界的にみても、そう多くない。それ以外のたいていの場所では・・・、異民族の侵入や戦争や、帝国の成立といった大きな変化が起こって、社会が壊れてしまう。自然が壊れてしまう。もとの社会がぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃになってどうするか、というのが、ユダヤ教とか、キリスト教とか、仏教とか、儒教といった、いわゆる「宗教」が登場してくる社会背景なのです。・・・で、ぐちゃぐちゃになっても、人間が人間らしく連帯して生きていくにはどうしたらいいかの戦略なんですけれど、一神教と仏教と儒教には、共通点がある。それは、もう手近な神々に頼らないという点。神々を否定している点です。(P86)
ユダヤ教では、一つの絶対的な差別・差異が前提になっている。言うまでもありませんが、神と人間、神と被造物の差別・差異です。その差別・差異が圧倒的・絶対的であるがために、ヤハウェという例外的な点との関係で、すべての人が平等化されるという仕組みになっているように思います。・・・ヤハウェは、民主主義的平等を可能とする、絶対的な例外的な差異ですね。(P105)
●隣人愛のいちばん大事な点は、「裁くな」ということです。人が人を裁くな。なぜかと言うと、人を裁くのは神だからです。人は、神に裁かれないように、気をつけていればいい。神に裁かれないためには、自分がほかの人を裁かないということです。愛の中身はこれです。/律法はね、人が人を裁く根拠に使われたんですよ。だから、なくした。イエスが言っているのは、そういうことでしょ?(P198)
●社会が近代化できるかどうかの大きなカギは、自由に新しい法律をつくれるか、です。(P276)