とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

異端者たちのセンターサークル

 ヴェルディが創立されて42年が経つ。その間にヴェルディの育成組織を支えた人々、育った選手や巣立った人たち、戻ってきた指導者たち。そんな彼らにインタビューを重ね、ヴェルディの選手育成の独特なマインドやその変遷を探る。
 Jリーグ創設時の優勝チームであり、三浦カズやラモス、武田らを擁し、Jリーグ人気をリードしたヴェルディ。プロ化の前の時代には、読売クラブという他に類のないクラブチームとして日本リーグの異端児だった。与那城ジョージネルソン吉村が活躍した時代。だが、勝利に奢ってか、読売の名称に拘り、ヴェルディ川崎の時代があり、東京ヴェルディ1969と名称変更を繰り返すうちに、チームはJ2に降格し、読売新聞が経営から手を引き、ついには経営危機に陥った。
 私としてはこうした危機の時代に、ヴェルディ愛の中から復活に尽力した人々の話を読みたいと思っていた。が、テーマはそれではなかった。副題は「プロサッカー選手を育てるということ」。選手育成がテーマだ。もちろん高木兄弟や森本などヴェルディの育成組織からJリーグや海外で活躍する選手もいる。だが一方で、いまや他のクラブユースから多くの選手が育ってきていることも事実だ。
 ヴェルディだけが特別ではない。いや、ヴェルディ愛に拘った育成の伝統がある限り、ヴェルディは特別かもしれない。それが選手の将来にどういう結果を及ぼすのかはわからないが。
 本書は多くの関係者のインタビューで進められていく。正直、何が言いたいのか、よくわからない。ヴェルディ愛だけが、そしてそれを体現する川勝信仰だけが大きく取り上げられているように見える。ヴェルディは確かに日本サッカーの進化に大きな役割を果たしてきた。だが、その蓄積や伝統を今後どう生かしていくのか。まだその筋道は見えないし、成果も上がっているように思えない。ヴェルディの物語はまだ続く。いや、続くと思いたい。アホな経営陣がつぶすことがなければ。ヴェルディの未来を信じたい。

●「ヴェルディではいろいろな指導者にお世話になりました。・・・ここのいいところは担当ではない人からも何かと気にかけられ、言葉を投げかけられるところ。本当にたくさんの方々からアドバイスをいただきました。振り返ると、ピンチのときに自分が最大限の努力をすれば、最後に誰かが手を差し伸べてくれる。僕のサッカー人生はそんな感じです」(P53)
●菅澤によると、選手を見る上で唯一絶対的なのはパーソナリティの部分だという。・・・どれほど技術があっても、メンタルに問題を抱える選手は成長を望むのが難しい。「U-13やU-15といった、アンダーカテゴリーの日本代表にひょいと選ばれてしまうと、そのあとが大変。精神的なバランスを崩す選手が多い。・・・選手によっては不必要なリスクを背負うことになる」(P90)
●「小見さんたちは日本のためを考えたのかな。読売クラブだけを、ヴェルディだけを見ていたんとちがう? サッカーは世界のスポーツだから、僕は世界に基準を置いた。ガンバが目標だとそこで止まって努力しなくなる。、あずはレギュラーに定着し、代表に選ばれ、その先には世界がある。思考に広がりがなければ人は伸びない。(P124)