とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

廃墟建築士

 タイトルに少し心が動いたが、読まずにおこうと思った。にも関わらず、タイトルに釣られて買ってしまった友人がいて、読まないからと譲ってくれた。
 三崎亜記は「となり町戦争」で興味を持ち、「失われた町」は面白く読んだ。だが、本書はタイトルを見るからに、いかにも三崎亜記らしく、内容が想像できた。果たして概ねそのとおり。しかし完成したときから使用せず廃墟とすることを目的に建築物を造るとはどういうことか。廃墟に対する思い入れ。それは「歪んだ」と言ってもいいだろう。三崎亜記の世界はどれも歪んでいるのだ。だが、建築を専門にする者としては、あまりに理解ができない。
 「となり町戦争」にしろ「失われた町」にしろ、筆者が歪める対象は「町」や「建物」だ。建物の7階、廃墟、図書館、蔵。建築物に何か思い入れがあるのだろうか。例えば公務員時代に配属された課が建築課だったとか?
 4編の中で最も心が惹かれたのは「図書館」。図書館の意思により、夜間、図書館の本たちが空中を飛翔する。そして図書館と交感する調教師。本好きにはそんな突飛なこともあってもいいと思えてしまう。
 「蔵守」は、「蔵」と「蔵守」が交互に心情を語る。交互に並べられた独白が対照的で面白い。そして受け継がれていく思い。これは「廃墟図書館」でも語られるテーマだ。
 設定の奇抜さ。その割に妙に現実にしがみついたストーリー展開は保守的とさえ言える。「失う」ことは「つながっていたい」という思いの反映か。その保守性がイマイチ楽しく思えない。たぶんこれ以上読むことはないのではないか。いや、ぜひ読みたくなるような作品を書いてほしい。

廃墟建築士

廃墟建築士

●七階護持闘争とは、いったい「誰」との戦いだったのだろう・・・目の前を通り過ぎる人々の、無意識のうちに築いた透明な壁のような隔絶であり、無関心な大勝に対する理解の拒絶であり、一つ一つは小さな個々人の悪意の集積でもある。そんな様々な「誰か」の思いが、七階護持闘争を挫折させ、並川さんをこの世界から奪ったのだ。(P52)
●崩れてしまう運命にありながら、それでも建物としての生を全うしようとする超然とした姿が好きでした。眼を閉じて崩れた壁に触れているだけでいいんです。励ましてくれるわけでも、慰めてくれるわけでもないんですけど、時を越えて私を見守ってくれているような、安らいだ気持ちになれました(P77)
●我々傲慢な人間は、時にすべてを意のままに扱えると錯覚を起こしがちだ。だが、自然とは人とは違う時間と秩序で超然と存在し、忘れた頃に情け容赦なくすべてを蹂躙し、無に帰する。人間の営みもまた、秩序の中の要素にしか過ぎぬことを知らしめようとするようだ。我々は自然の手の上で弄ばれていることに気付かずに羽目を外しすぎ、いつか掌を返されて慌てふためくのだろう。(P160)
●「行い自体に意味はないのかもしれない。だが受け継ぐこと、受け継がれてきたことを守り続けることに意味があることもあるかも知れないと思ってね」(P190)