とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

辺境ラジオ

 毎日放送で不定期に放送されたラジオ番組から書き起こしたもの。内田樹がいつもブログで語っている内容が語られている。それを名越康文が受けて展開し、毎日放送アナウンサーの西靖がコントロールする。内田樹の対談ってどうしても内田樹が主になって、対談者がそれに阿る形になってしまう。気持ちよく語り合える対談者との対談本ばかりが企画されるんだろうけれど、また実際のところ、意見の違う人との対談なんて受けたくないだろうけど、でもそれだとやはり読んでいて次第に飽きてくる。
 対談している本人たちはいつまで話しても話し続けたいと思うだろうし、そう語っているけれど、いつまでも話している内容が変わらなければ、聞く側はつまらない。というかいっそのこと、その話に加わりたくなる。そういう意味では内田樹の講演や講義を聞くことは実は意外につまらないのかもしれない。いっそのこと、池田信夫橋下徹あたりとの対談だと面白いのかもしれないが。
 それでも内田樹の話すことは納得できる。気分が同じ。だが、現状を受け入れることを勧める言葉にはそれでいいのか、それを続けてきて今があるんじゃないのか、どこまでこうした社会の退潮や右傾化を受け入れ続ければいいんだ、という思いが湧きあがってくる。
 「それが大事なんです。そうして立ち上がった人によって社会は変わっていく。無理をしなくていいんです」なんて言われそうだけど、本当にそれでいいのだろうか。正月から不安に心穏やかでない私である。

辺境ラジオ

辺境ラジオ

●「みんなで支え合って、みんなで生き延びよう」という共同体マインドを優先させていれば、こんな「元気のない」状態にはならなかったはずです。でも、みんなが共同体の生き残りよりも、自分一人の財布の中身を優先的に気遣った。それが正しいという「消費者イデオロギー」を官民あげて宣布した。国民もそれを信じた。そのせいで、こんな状態になってしまった。(P119)
●長期的に見れば、効率よりもリスクヘッジの方が大事なんだよ。短期的な部分合理性、つまりすべてが想定通りに推移した場合に利益が最大化する方法を必死で探していると、「想定外」に対応できなくなる。そんなこと考えたくないから、どういう場合にものごとが「うまくゆかなくなるか」を想像して、その可能性を一つずつつぶしていく仕事って、ビジネスマンは嫌いなんだよね。(P162)
●今まで僕たちの社会はアクティブな生き方をしている人を評価し、アクティブな人を標準にして、社会を制度設計してきた。でも、そろそろそのやり方を改めて、立ち止まって周りを見渡して、傷ついた人たちや病んでいる人や支援を求めている人に眼を向けて、「大丈夫ですか?」と声をかける。そういう風に社会のありようを転換しなければいけないような気がするんです。(P188)
●もし指南力のある発言をしようと思ったら「ヴィジョン」を語るしかないでしょう。これからの世界はかくあるべき、こういう方向で行きましょうという、雄壮で、風通しのいい、世界中の人たちが「ああ、いい話だなあ」と頷けるような、スケールの大きい物語を提示する。そういうヴィジョンだけが国際社会で耳目を集めることができるんだけれど、日本の政治家はそういうものを持っていない。彼らが語るのは、結局愚痴だけなんですよ。国内に向けては「金がない」と言い、国際社会に向かっても「北朝鮮や中国やロシアのせいで困っているんです。なんとかしてください」と愚痴をこぼすだけ。誰がそんな話聞きますか。(P278)
●縮小産業になったら、そこで金儲けをしたり、有名になろうとする人はもう来ないでしょう。「これがやりたい」という人だけが来る。それはそれでいいじゃない。メディアとか教育とか医療とか宗教とかは、お金儲けのためにやるもんじゃなくて、もともと「ぜひやりたい」「手弁当でもやりたい」と思う人たちが集まってやるもんだと思うけどなあ。(P350)