とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

雲をつかむ話

 雲と犯人の話である。いや、犯人と雲の話。犯罪者かどうか分からない、と言うが、犯罪者である。警官と撃ち合いを演じた作家。無銭乗車を繰り返し逮捕された双子。不法滞在者。郵便泥棒。夫を殺した家政婦。社会事業家の妻を殺した男。学生時代に同居した友人を刺してしまう女。そしてこれらの話の転換にけっして目立たないが必ず雲が描写される。雲をつかむ話。
 だが、主人公の心を捉えて離さないのは、警官に追われ、主人公の家に飛び込んだ若者である。フライムートと名乗ったその青年から面会に来てほしいという手紙が届くが、それを果たさないまま月日が過ぎていく。そしていつかとっくに刑期が終わる年月が過ぎ去る。
 作家として、犯人との交流に好奇心を持ってしまう。青年と面会しなかった過去の棘が心から抜けない。最後に女医との交友が描かれる。犯人の人生に心惹かれる主人公に「あなたの人生は退屈で幸福なものであっていいのです」と諭す。
 捉えどころのない、ふわふわと流れる、いかにも多和田葉子らしい作品。一つ一つの話がふわふわとつながっていき、そして雲の上を飛ぶ飛行機から雲をくぐって地上に降りてくる。地上は犯人のいる世界か。いや、私の生きる世界だ。

雲をつかむ話

雲をつかむ話

●それにしても体験話というものが何度も繰り返し話しているうちに嘘となって熟していくのはなぜだろう。嘘をつくつもりなど全くなくても、語りの滑走路を躓かないように走るには、まばたきするくらい短い時間内で「記憶の穴」を埋めていかなければならない。・・・埋めるのはほとんど意味のない細部だけなのに、話ができていく中でなぜかそういう細部がムクムクと力を持ち始め、全体を変えてしまう。(P6)
●手紙は一人の人間に向かって真っ直ぐに飛ばさなければならない紙飛行機のようなものなので、紙とは言え、尖った先が、もし眼球に刺さってしまったら大変。責任を持って書かなければならない。責任を気にかけすぎると、書きたいことが書けない。それで、とりあえず責任のない日記をひろげてしまうのかもしれない。(P23)
●そう言えば、「実力」という言葉を日本ではよく耳にした。でも、それをうまくドイツ語に訳すことができない。だからというわけではないが、もう長いことわたしは「実力」という言葉は使っていなかったし、その意味もよく分からない。まず実力という単語が先にあって、そこにみんな自分の経験を積み上げて貯金していくのだろう。(P100)
●飛行機は着陸の準備に入ります。雲の下の世界に降りていく、それがとても長い時間に思え、わたしは死をも恐れない透明な存在から、小石にもつまずくただの人間に戻っていく。飛行機の出入り口が開いて、地球の表面独特の草と糞のまじったにおいを含む湿り気が流れ込んでくると、一つ一つの気持ちを言葉に置き換えていく余裕もなく、もう地球の一部になっている。(P233)
●「危険を避けていたら、面白い体験はできない」と言ってみると、怖い顔をして、「面白い話は他人のものでしょう。あなたの話ではないのだから。それを奪って商売にするのですか。あなたの人生は退屈で幸福なものであっていいのです」と答えた。(P254)