とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

おやすみラフマニノフ

 中山七里の「さよならドビュッシー」に続く岬洋介シリーズ第2作。
 書き出しのコンサートで松葉杖の少女が姿を見せる。香月遥(片桐ルシア)だ。遥とピアノコンクールで競った下諏訪美鈴も登場する。しかも彼女は、この作品でも見事な探偵役をこなすピアニスト岬洋介の手でピアノを開眼するのだ。前作と関連する描写がそこかしこに顔を覗かせるのもうれしい。それももちろん舞台が名古屋だからこそ。この狭い都市では人々の行動する範囲など大して広いわけではない。愛知芸術文化センター、矢場トン、西枇杷島・・・。
 そして平成12年東海豪雨の記憶、平成20年8月末豪雨の記述。避難所で不安と焦りから怒号が飛び交う中、突然始められる岬と城戸によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。作者の作品の最大の魅力の一つがこの演奏場面の描写だ。できれば作品を読みつつ頭の中に音楽が流れればいいのだろうが、残念ながら私にはそんなことはできない。そういう人には作者の各作品はどう感じるのだろうか。
 犯人は早い段階で想像できるし、柘植学長と主人公・城戸晶との関係など、後から語られる真実も付け足し感がないわけではないが、そうしたミステリーの魅力以上に音楽場面の魅力の方が上回っている。海堂尊の田口・白鳥コンビから始まる一連のシリーズのような展開を期待したい。
PS.
 ところで、中山七里って男性なんですね。ペンネームはたぶん飛騨川の渓谷から取った名前だろうとは想像していたが、音楽を素材としていることからすっかり女性だとばかり思っていた。うーん、実はちょっと興醒め。

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)

●現実を忘れるのは至難の業だ。・・・煩わしい人間関係が尾を引く。電波は不安と悪意を垂れ流し続け、道往く者はiPodで、部屋に籠もる者はネットに逃げ込んで自分の殻を守るのに精一杯だ。/そんな澱みを<皇帝>は綺麗さっぱり吹き払ってしまった。今、このホールに満ち溢れているものは勇気と希望と、そして賛歌だ。/時折、音楽が魔法を見せる時がある。だが、それはこの上ない演奏者とこの上ない曲目とこの上ないシチュエーションが偶然合致した時に起こる、本当に奇跡的な瞬間でしかない。(P14)
●「畑中さん、気持ちは分かるがな。今あんたが飛び出して行ったら、我も我もと大勢が続くよ。その中の何人かが水に呑み込まれたら、あんたは平気でおられるかね。そういう人たちを呼び戻そうと捜索に行った者が二次災害に遭うた時、あんたはのほほんとしていられるかね」「……」「店も商品もそりゃ大事さ。そやけど一番大事なものは、ここにこうしてもう集まっとる。(P202)
●だが、ピアニッシモのように極めて小さく弾く場合でも実際に小さい音を出す訳ではない。ではどうするかと言うと、小さい音で弾いているようなニュアンスを出すのだ。そうしなければオケの音に埋没してしまうし、第一遠くにいる聴衆の耳まで届かない。ただし、聞き手にピアニッシモを感じさせる奏法は、大きく音を出す時よりも一層筋肉や体力、そして精神力を必要とする。紡ぎ出す旋律は穏やかだけれど、右手上腕の筋と左手四本指の筋が酷使に耐えかねて引き攣りそうになる。(P216)
●音楽は職業ではない。音楽は生き方なのだ。演奏で生計を立てているとか、過去に名声を博したとかの問題じゃない。今この瞬間に音楽を奏でているのか。そして、それが聴衆の胸に届いているのか。それだけが音楽家の証なのだ。(P287)