とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

野球のない暮らし

 昨日、ファイターズの大谷がドラゴンズ相手に先発し、初勝利を挙げた。打者では既にそこそこ活躍しているが、投手でも活躍ということで、156km/hの球速とともに二刀流が話題になっている。
 地元の中日新聞の一面には「きょうの紙面」というコーナーがあり、主だった記事の見出しが載せられているが、普段ドラゴンズが負けた日の翌日には一面に見出しが出ることはない。ところが今日の朝刊には「二刀流 大谷プロ初勝利」の見出しが躍っている。ドラゴンズの敗戦が伝えられていないのはこれまでと同様だが、一面下部のコラム「中日春秋」でも大谷を取り上げており、大谷の活躍が話題になっていることが分かる。
 翌日の新聞を見て「大谷の初勝利を知る」というほどに、最近は野球の動向にさっぱり興味がない。ニュースを見ることもないし、新聞でも野球欄は飛ばしてしまう。断片的に入る情報では、確かジャイアンツが独走していたように思ったけど、知らぬ間にセ・パ交流戦に入っていた。ドラゴンズはダントツ最下位かと思ったら、4位と意外に健闘している。
 今年は開幕直後から地元ドラゴンズが連敗したため、見る気が失せたということもある。落合監督の頃は優勝すれば妻もセールもあるので興味を示すが、負け続ければ、TVを見る気も新聞を読む気も失せる。こうして野球のない生活が始まった。
 ところが職場でも野球の話題が出ることが少ない。何も支障がない。もっともサッカーも代表戦位しか話題にならない。昭和年代にはみんながプロ野球を語り、高校野球の結果を追い、マージャンをし、パチンコをやって、呑みに行っていたが、いまやそんな光景は過去のものだ。これらのどれも苦手な私には幸いだが、時代も変わったものだとつくづく思う。
 でもそれで失ったものもあるような気がする。マージャンや呑み会を強要される時代も嫌だったが、それぞれが別の方向を向いてそれぞれの趣味を楽しむ個の時代というのにも一抹の寂しさを覚える。野球がなくなった時代には人は何でつながるのだろう。いやいや多分、日々の生活や趣味を入口に、もっと心の深いところでつながっていくのだろう。そう思いたい。野球のあった時代は偽装つながりだったのかもしれない。