とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

いつまでもショパン

 久し振りに中山七里を読む。一連の音楽モノの集大成のつもりだろうか。ショパンコンクールのファイナルの場で、岬洋介は突発性難聴の発作を起こす。名古屋に設置された中継モニターの前には、「おやすみラフマニノフ」の城戸晶や下諏訪美鈴、「さよならドビュッシー」の片桐ルシアらが集まってくる。そして岬洋介の演奏中断の後のノクターンの感動。だが、この演奏が戦場で流され、一時的な休戦状態になるなんていうのはありえない。しかも最後にパキスタン大統領からの緊急メッセージが放送されるというのはまさに蛇足。
 ミステリーとしても早々とテロリストが予想できてしまう。得意の演奏場面でごまかすが、演奏場面もあまりに多すぎると、さすがに飽きてくる。主人公ヤンの恋愛と成長も無理やり感があるし、岬洋介がカッコよすぎ。盲目のピアニストは辻井信行がモデルだろうが、それゆえか人物が十分描き切れていない。もっとも完全に辻井信行を想い浮かべつつ読んでいたので、別にそれでいいのかもしれないが。
 加えて、テロのシーンがあまりに残酷。ショパンに飛び散る脳漿は似合わない。サイコ・サスペンス作家の本領発揮ということかもしれないが、音楽ファンには刺激的過ぎて読む気が失せる。ということで、中山七里はこれで卒業しようと思うに至った。中山さん、もっと安心して読めるミステリーを書いてください。

いつまでもショパン (『このミス』大賞シリーズ)

いつまでもショパン (『このミス』大賞シリーズ)

●音楽は世界共通の言語だ―と言う者が多い。しかし、それは音楽というものの最大公約数しか感知できない生半通の戯言でしかない。実際には、特定の場所、特定の関係性の中でしか成立しない音楽がいくらでも存在する。・・・ショパンにしても同様だ。彼の残したエチュードノクターンスケルツォ、バラード、ワルツ。どれもが宝石の如く光り輝いているが、原石の黒さと研磨の過程を知ると知らないとでは理解度も天と地ほど違ってくる。そして彼の苦しみを皮膚感覚で知り得るのは、やはり弾圧を受け虐げられ続けたポーランド人しかいないのだ。(P72)
●どんな大義名分があったとしても、自らの要求を通すために無辜の人間を巻き添えにするのは単なるエゴイズムでしかない。全ての戦争が、そして全ての謀略がそうであるように、他人の生命を蔑ろにしてまで遂行される正義など虚構でしかない。そして、それを言葉や文章ではなく、音楽で表明したのが他ならぬショパンでした。(P179)
●「ある日、音楽が好きになって、ピアノが好きになって、離れられなくなる。昨日弾けなかったすれーズが今日弾けるようになった。じゃあ、今日出せなかった音は明日出せるかもしれない。指先と耳を研ぎ澄ませ、一音一音に気を配りながら練習して、人前で演奏して、また練習して、また人前で演奏して……そしていつの間にかピアノが自分の武器になっていく」「武器?」「その人が生きる手段というのは、その人の武器になるんです」(P246)