とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

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 中村文則の最新刊の短編集だ。「掏摸」中村文則を知った私には、作風があまりに違い戸惑った。これでは私小説ではないか。作家として作品に悩み、物語性に囚われ、そんな実体験から湧き上がってきた言葉を書き連ねている。そんな感じの作品がいくつかある。
 一方で、彼らしい作品もある。表題作「A」などはそれだ。中国で人を殺す体験をする人を描いた作品。「妖怪の村」も面白いかもしれない。お伽話に支配された世界に逃げ込んだ主人公の物語。そして「二年前のこと」は、まさに私小説だろう。代表作が執筆された時の苦い思い出と作家となることの苦悩を描く。
 うーん、あまり面白いとは言えない。次も読むかと言えば、かなり不確定だ。もうこれで中村文則とはさよならを言ってもいいかもしれない。

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●「ジーンズを」/もう一度言おうとした時、彼女が振り向く。脱ぐわけはないから。そして僕も、力づくでするつもりなどないから。僕の想像は終わり、僕の内面が急速に消えていく。初めからわかっている。その領域に行くには、僕はまだ孤独が足りない。(P23)
●――……難しいな……生きるのは。/僕はそう声を出し、白いものを両手で抱き上げた。罪に震えるそれを、僕はじっと見つめた。身体に広がる温かな温度を、抑えることができない。この白いものに、罪を独占させるわけにはいかない。僕は白いものを両手で持ちながら、そっとキスをする。そして口を開き、謝罪と愛情の言葉を内面で呟きながら、白いものを身体に戻す。(P53)
●「あんまりディテールに凝ると、今のお前の神経じゃもたないんだよ。……わからない奴だな。脱出する物語をつくるんだよ、自分で」(P134)
●あなたが手に入れたものは、あなたの望みの中で、最も手に入れやすいものだった。そしてあなたは、・・・あなたが最も望んでいたことを犠牲にして、引き換えにして、あなたは今のあなた自身を手に入れたんです。・・・どちらのあなたがより不幸せかは、私にもわからないのですが。あなたはこういう形でしか、今のあなたを手に入れることができなかったのだから。(P154)
●敵も味方も真実よりその時代の都合で歴史を語る。消失にしろ強調にしろ、何もかもが実態からうやむやになっていく。つまり私達は歴史から断絶している。この場は、この場にいる私達は、過去と未来から断絶し、歴史と断絶し、ただこの時間と空間の中に孤独に存在しているだけだ。だから私達はその孤独の中でしっかり結びつかなければならない。私達は仲間だ。歴史から断絶された存在者同士の」(P240)