とんま天狗は雲の上

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誤解だらけの電力問題

 元東京電力社員だった筆者の書く電力問題に関する本が意外に平等で好評だと聞いて読み始めた。
 サラリーマン社長であれば「自分が社長の間は原発は再稼働するのはやめたい」と思うのが普通ではないか。電力が自由化されれば値段を上げるのも自由なはず。それなのになぜ電力会社は「電子力を再稼働したい」「自由化には慎重に」なるのか。そう書き出す序に期待を持って読み出した。
 でも結論を言えばそれは「供給本能」があるから。確かにそれはわかるけど、いい人だからしょうがないで済ませていい話ではない。また、第1部「エネルギーに関する神話」に書かれる「再エネ神話の現実」「ドイツ神話の現実」も、一面的で掘り下げが不十分な気がしてならない。そして「電力会社の思考回路にまつわる神話」は「安定供給」。確かにそのとおりだとは思うけど。
 それで、本書で面白く読んだのは巻末に付せられた補論「電力システムと電力会社の体質論」。ここでようやく筆者が電力会社の論理から離れ、一般消費者の視点で考え始めた。でもやはり電力会社も変わらなければいけないし、電力供給に係る社会システムも変えねばならない。
 最近、九州電力東北電力などがFITにより電力買い取りを休止するという報道があった。その理由も本書を読むと理解するが、だからこそやはり大きくシステムを変更していく必要がある。ドイツ神話を批判することも必要だが、参考にすべき点も多くあるように思う。日本の電力会社ならできるのではないか。「供給本能」をベースに、さらなるチャレンジを期待したい。

誤解だらけの電力問題

誤解だらけの電力問題

●どれほどに膨らむかわからない原子力事故の負担を国が負うことを避けたかった大蔵省の反対により、事業者が無限の責任を負い、国は「必要と認めるときに支援する」という曖昧な法律になったのです。・・・本来民間事業者であれば、「こんなことでは怖くて原子力発電などやれない」と居直り、国の関与を明確にしておかねばならないところです。・・・ところが、日本の電力会社は・・・むしろ無限責任を積極的に受け入れました。安価な電力を大量に救急できる原子力技術は日本のために必要だとする「供給本能」がそう考えさせたのでしょう。(P198)
●体質を作るのは体制です。人は「この事業体制の下ではそれが合理的」という行動原理に従って行動します。長年の体制が、そう行動するのが必然的・合理的とする価値観を作り上げるのでしょう。東日本大震災東電福島原子力事故によって世間の価値観は大きく変わりましたが、体制はまだ何も変わっておらず、従って電力会社の行動原理も変わらないままでした。最終的にはそれが電力会社が「変わらない」「懲りない」と見える理由だと私は考えています。(P206)
●義務としての安定供給ではなく、選ばれるための安定供給は、それに伴うコストも変わってくるはずです。消費者がかかわることで電力システム改革が「魂の入った」ものになるでしょう。(P218)
●そもそも電気は「あるのが当たり前」ではなく「ないのが当たり前」の国なのです。しかし、いつの間にか私たちは資源貧国であることすら忘れ、エネルギーがあるのを当たり前と考えるようになってしまいました。世界には電気が使えない人が約13億人もいて、電気がないために健康や生活を脅かされているというのに。(P228)