とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

別れのワルツ

 久しぶりにミラン・クンデラを読んだ。「存在の耐えられない軽さ」「冗談」「笑いと忘却の書」「不滅」「可笑しい愛」に続いて6冊目。それにしても前に「可笑しい愛」を読んでから10年ぶりだ。
 チェコスロバキアから亡命してフランスで執筆を続ける作家。プラハの春を経験し、社会主義体制下での人間模様を描写する。位のイメージで読み始めたが、途中で次第に思い出した。そうだ、社会主義体制下とは言っても政治そのものがテーマではなく、性愛や笑いなどの人間の微妙な感情や行動を主題とする小説だったっけ。
 タイトルの「別れのワルツ」は、たぶん3組のカップルの最後のセックスを暗示しており、その後、物語の結末に至っていく。その3組が3組とも、小説のそれまでの進行の中のカップルとは違う組み合わせになっているところが面白い。もっとも1組は本来の夫婦同士の組み合わせなのだが。
 「訳者あとがき」の中に、ル・モンド紙の記者から「登場人物のうち誰が最もあなたに近いのか」と尋ねられて「誰にも」と答えたエピソードが紹介されている。実際、結局のところ、誰が主人公だったのかよくわからない。不妊治療を行う医師、ドクター・スクレタがキーとなる人物だが、一方で看護師にして最後は誤って毒薬を服用し死んでしまうルージェナの二人の男性との性愛関係を中心にストーリーは展開する。誤って毒薬を混入させ、その後の緩慢な対応がルージェナを死に至らしめてしまうヤクブが「罪と罰」の主人公ラスコリニコフと自分を比較して自問するシーンがこの小説中の白眉のようにも思うが、結局、彼はルージェナの死も知らず、自戒も中途半端なままで海外へ移動してしまう。
 不妊治療に際し自分の精子を使用して、ドクター・スクレタ似の子供が大勢生まれているという設定も面白いが、結局、人生はこうしたユーモアと社会制度と偶然に翻弄されて進行していくのだろう。人生とはそんなもの。読み終わってみれば奇想天外、面白い小説でした。他の作品も文庫本化しないのだろうか。また次の作品を楽しみにしたい。

別れのワルツ (集英社文庫)

別れのワルツ (集英社文庫)

●秩序への欲求は人間の世界のすべてが前進し、すべてが機能する非有機的な体制に変えようとするから、すべてがひとつの非人格的な意志に従うことになる。秩序への欲求とはまた、死への欲求でもあるのだ。なぜなら、生とは秩序のたえざる侵害のことだから。(P143)
●科学と芸術が事実上、歴史の真の、固有の闘いの場なら、政治は逆に、ひとが人間にたいして前代未聞の実験を行う、閉じた科学的実験室だということだ。そこでは、人間というモルモットが罠に陥れられ、やがて舞台にのぼって喝采に誘惑されたり、絞首刑に怯えたり、密告されたり、密告を強いられたりする。ぼくは実験助手としてその実験センターで働いたが、・・・自分がどんな価値も創造しなかったことを知っている(P156)
●ヤクブは人々が抽象的な観念のために他者の生命を犠牲にする世界で生きてきた。・・・しかしヤクブはまた、自分もやはり長い年月のあいだ無意識的にその殺人を準備していたのであり、ルージェナに毒薬を与えた瞬間は裂け目のようなものであって、その裂け目に彼の全過去が、人間への不快感のすべてが梃のように打ち込まれたのだということも知っていた。(P322)