とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

判断はするものじゃない、仰ぐものだ!・・・じゃなくて、やっぱり自分で判断してよ。

 先日、ある部署から、依頼業者との価格に折り合いが付かず困っていると相談があった。経理担当へは既に昨年の価格で予算計上しており、今さら予算を上積みしてもらうのは大変とのこと。ならば別の業者に当たってみたらどうかと心当たりの業者を紹介した。
 先日、その担当者がやってきて、私から紹介された業者と接触したが、見積もりまでに1ヶ月近く要すると言われたとのこと。「どうしましょうか?」と私に尋ねる。見積もりに1ヶ月を要して、それから経理へ相談して、予算を確保して、契約をして・・・「それで最終納期に間に合うのか」と聞くと「間に合いません」との返事。ならば間に合わないことをしてもしょうがないじゃないか。別の方法を考えろと一喝してしまった。
 昔、友人が警察関係の仕事をしていた時のこと。警察組織では上意下達が当たり前。事務用品の納品といった事務的な仕事ですら担当者の勝手な判断は許されない。「判断はするものじゃない。仰ぐものだ。」と知り合いの警察官が言っていたという。本当かな。
 でもわが社は違う。判断は仰ぐものじゃなく、まずは自分で行うものだ。判断をした結果、方針の是非について伺うのならわかる。うまくいかない状況を前に「どうしたらいいでしょうか?」と聞くのはやめてほしい。「それぞれの案にはこうしたメリット・デメリットがあります。ついてはこちらの案を採用すべきと考えますが、いかがでしょうか」というのが最高点。
 「どちらにしましょう?」「こちらだろ」「でもそちらにはこうした問題があります」「ではこちらにしたらどうか」「そちらにもこうした問題があります」「うーん・・・?」ではあまりに非効率。だいたい上司が全てを知っているわけではない。一番よくわかっているのは担当者自身のはずだ。こんな対応ではいつしか上司の堪忍袋の尾が切れるのが目に見えるよう。最低でもメリット・デメリットを提示してから「どちらにしましょうか?」とたずねてほしい。
 もう一度言う。判断は仰ぐものじゃない。自らするものだ。これは警察を除いて一般社会の常識だと思うが、そう思う私は古いのだろうか? もっともこれを書きながら、自分も社長に対して同様の質問をしていないかと自問してみる。大丈夫かな? 自戒しよう。