とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日本の覚醒のために

 2011年から15年に行われた6つの講演録を収録したもの。他に付録として短いスピーチが1編。テーマは「資本主義」、「宗教」、「伊丹十三」、「言語」、「白川静」、「憲法」の6つ。どれも面白いが、中でも「伊丹十三」と「言語」が面白い。

 「伊丹十三と『戦後精神』」が正確なタイトルだが、これは第3回伊丹十三賞受賞記念講演会でのもの。伊丹十三が20代の頃に書いた「ヨーロッパ退屈日記」を牽きつつ、同時代人の江藤淳吉本隆明大江健三郎と並べて、いわゆる戦中派の人々がどんな人生を生き、何を思ってきたか、といったことを考える。そして今、順次、死期を迎えようとしている彼らの経験と思想の重要性を考える。

 また、全国高校国語教育研究連合会で話した「ことばの教育」と題する講演では、「『種族の思想』は、それぞれの母語によってしか表現できない」こと、そして「グローバルであるというのは、すべての人に世界標準を提出する権利があるということ」だと喝破する。まさにそのとおり。我々はやはり日本語を最も大事にしていかなくてはいけない。そうでなければ真の意味で考えることも、感じることもできない。

 その意味では、アメリカン・グローバリズムイスラームグローバリズムの闘争というのは興味深い。もちろん日本人である私はイスラームグローバリズムの側だ。そして、国は水平的な領域だけでなく、時間的な祖先・死者から未来の子どもたちに至るまでを含む「共生体」という言葉にも強く共感する。

 最近は内田樹も、「また同じこと」と思ってしまうが、たまに読むとやはり面白い。これからもめぼしい本は読んでいこうと思った。

 

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

 

 

○本来の国というのは空間的に表象できるものではないと僕は思っています。・・・それと同時に垂直方向、すなわち時間の中で生きているものでもあります。この国の構成メンバーは、同時代に生きている人間たちだけではありません。そこには死者も含まれているし、これから生まれてくる子どもたちも含まれている。その人たちと、多細胞生物のような共生体を私たちは形づくっている。それが国というものです。(P054)

○アメリカン・グローバリズムイスラームグローバリズムの間で一種のヘゲモニー闘争が展開している。・・・イスラーム共同体の基本原理は、遊牧民の組織原理ですから、根本にあるのは相互扶助と喜捨です。・・・この相互扶助と喜捨の倫理はアメリカン・グローバリズムとはまったくそりが合いません。合うわけがない。新自由主義者たちのルールは、「勝った者が総取り。負けた人間は野垂れ死にしても、それは自己責任」というものだからです。(P074)

○言語の政治ということに関して、日本人はあまりにイノセントだと僕は思います。言語というのはきわめて政治的なものだからです。/英語が世界の共通語になったのは、英米という二つの英語国が200年にわたって世界の超覇権国家だったからです。それだけの理由です。・・・ですから、どんな国も、その政治的・軍事的実力が高まると、周辺の国々の固有の国語を禁圧して、「おのれの母語を共通語にする」という野心に取り憑かれます。(P221)

○僕はすべての国や地域の、すべての言語はそれぞれに固有の創造性を有していると思っています。それぞれの「種族の思想」は、それぞれの母語によってしか表現できない。そして、それらの一つひとつすべてが「人類の共通財産」だと僕は思います。・・・グローバルであるというのは、全ての人が世界標準に従うということではありません。すべての人に世界標準を提出する権利があるということです。(P229)

○アメリカ政府の政策には反対だけど、アメリカのカウンターカルチャーには共感するという数億人規模の「アメリカ支持者」を世界中に作りだした。それが結果的には「あれほど反権力的な文化が許容されているってことは、アメリカってけっこういい国なんじゃないか」というアメリカ評価につながってしまった。ソ連カウンターカルチャーはないけど、アメリカにはある。最終的に東西冷戦でアメリカが勝った理由はそこにあるんじゃないかと僕は思っています。(P336)