とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

プロット・アゲンスト・アメリカ

 もし第二次世界大戦前夜の1940年、ローズヴェルトが三選を果たした大統領選でリンドバーグが代わって大統領になっていたら・・・。「もしもアメリカが・・・」という副題が添えられているが、ヒトラーと懇意になり、ドイツを支持し、参戦に否定的だったリンドバーグが大統領になっていたら、その後の世界はどのようになっていたか。読み始める前から、当然私は、ありえたかもしれないもう一つの世界、そんなSF的なパラレルワールドが展開するのだとばかり思っていた。しかし本書はそういう類の本ではない。リンドバーグが反ユダヤ論者だった過去を利用し、ユダヤ人への迫害やそれを恐れる家族の姿を描き出す。より心に迫る作品である。

 1940年代はまだこういう時代だったのか。はたまた現代も現実は大して変わらないのか。いずれにせよ、彼らユダヤ人家族は血と恐れと悩みの中に生きている。それらを振り切ろうとする意志と、逃げようとする決断の狭間で悩み、家族の絆もひび割れようとしている。だが結末は意外に簡単にやってくる。リンドバーグが失踪してしまった。「リンドバーグヒトラーに脅迫されていた」そして「ドイツ軍に拉致された」というのが一応の説明だが、完全に家族が壊れてしまうまでには至らず、物語は終わる。現実に比べ、小説は甘いだろうか。それでも十分恐怖は伝わってくる。フリップ・ロス本人の幼少時の出来事として、子供の目線で描かれている点が迫真的でもあり、救いにもなっている。それが本書の一番の魅力だろう。

 本書は2004年にアメリカで刊行され、ブッシュ政権批判とも受け止められた。日本では2014年に翻訳出版されたが、まさに第二次安倍政権の渦中である。リンドバーグをブッシュになぞらえることを筆者は否定したそうだが、日本に住む私としてはやはり安倍晋三を、そしてユダヤ人を在日朝鮮人に置き換え、さらに在特会などの存在を考えてしまう。少数者に対する迫害は、少数者がいる限り、世界中で繰り返されていることなのかもしれないが、その恐怖がじわじわと伝わってくる。

 

 

○「ヒトラーはまっとうな人間なんかじゃありませんよ、ラビ!…史上最悪のユダヤ人迫害者なんですよ。なのに奴の親友にして我らが大統領は、君と私のあいだには『共通理解』があるのだなんて言われて真に受けてるんだ。…時が来たらこの国にもユダヤ人を撃ち殺しにきますよ。そうしたら吾らが大統領はどうするか? 私たちを護ってくれますか?…いいや、われらが大統領は指一本持ち上げやしません。それがアイスランドであの二人が達した共通理解なんです。(P149)

○不測の事態はいたるところ、すべてに関し広がっていた。そんな容赦ない不測の事態も、180度ねじってしまえば、私たち小中学生が教わるところの「歴史」に、無害な歴史になってしまう。そこにあっては、当時は予想もできなかったことすべてが、不可避の出来事としてページの上に並べられる。不測の事態の恐ろしさこそ、災いを叙事詩に変えることで歴史学が隠してしまうものなのだ。(P155)

ローズヴェルトに取って代わった共和党大統領が、ユダヤ人たちから…ひとまず容認されるようになったことは嫌でも目に入った。…就任式以降、恐れていたようなことは何も起こっていなかったから、わが家の隣人たちは徐々に、ウィンチェルの陰惨な予言より、ラビ・ベンゲルズドーフの楽天的な保証の方に信を置くようになっていった。…むしろ国に行く末をいち早く見抜いていた…と大っぴらに持ち上げるようになった。(P212)

○この人々がユダヤ人であるのは、ラビやユダヤ教会から発していることでも、彼らが実践する数少ない宗教的慣習から発していることでもなかった。…ユダヤ人であることは…彼らが彼らである事実そのものから発していたのである。すべてはありのままに、物事の本質に根差していて、…根本的なことであって、誰一人、そこからいかなる事態が生じようと、それを変えたいとか否定したいとかいった欲求を表しはしなかった。(P298)

○私は扇動を事とする政権の不法な代表者たちに屈しませんし、彼らに怖気づきもしません。国民の皆さんも、どうか政府の容認しえぬ行為を認めたり支持したりなさらぬようお願いします。…1776年7月に…ジェファソンと…フランクリンと…アダムズが唱えたのと同じ何人にも奪いえぬ権利を守るべく、これら連合諸邦の善き人々の権威において、世界の至上なる審判者に私たちの意図の正当性を訴えつつ…不正な侵害の歴史に終止符が打たれることをここに宣言します。(P427)