とんま天狗は雲の上

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新型コロナはいかに収束するか

 5月6日に期限を迎える緊急事態宣言は延長される公算が大きい。最近は感染者数も頭打ちな感じだが、これが実際の数字だと思う人は少ない。医療崩壊を起こさないため、未だに検査数を抑えているという話もあるし、路上での変死の増加や、PCR検査をしないままの肺炎による死者が増加しているという噂もある。

 終息まで1年以上かかるという話もあるが、一方でトランプ大統領は早くも「新規感染のピークは過ぎた」と、経済再開の指針を発表した。フランスのマクロン大統領も学校再開について言及したし、ドイツではブンデスリーガの再開も検討されているようだ。コロナ禍が最初に始まった中国はもちろんだが、感染拡大が遅れて始まった欧米でも既にこうした動きが出ていることには驚かされる。もっとも、欧米各国は日本以上に過酷な都市封鎖を実施していることもあり、そろそろ解除に向けた明るい声明を発しないと国民の暴動が抑えられないということもありそうだ。また、再開にあたっても、PCR検査を相当数実施していることから、再開後も含めて、感染の状況を的確に把握し、いかに再開していくか、再度の規制の実施など、柔軟かつ臨機応変に実施していくことが可能なのかもしれない。

 翻って日本ではどうかと言えば、感染者数に信頼がおけない状況では、緊急事態宣言の解除をどうやって進めるのかと心配になる。厚労省が月内にも数千人規模で抗体検査を実施するというニュースがあるが、これは宣言解除も見据えた動きと取っていいだろう。ニューヨークで実施された抗体検査では約14%の割合で感染していたという結果が出ている。集団免疫説が流布された際には、感染率6割になれば感染が終息するという話もあった。いったいこの新型コロナ騒動はいつ、どのような形で収束するのか。

 一つはこの集団免疫説のとおり、抗体検査等により、住民の6割以上が感染したと確認されたときに、緊急事態宣言を解除するということが考えられる。しかし、6割免疫獲得までにはまだかなり時間がかかりそうだし、神戸大の岩田教授によれば、「あれはひとつの仮設、しかも楽観的な仮説です。そもそもコロナウイルス感染に対して、我々に終生免疫がつくかどうかすらわかっていない。終生免疫なんてつかずに、インフルエンザのように毎年かかるものかもしれない。ノロウイルスのように全く免疫のつかないものかもしれない」(「TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』」より)ということで、確かにインフルエンザやノロウイルスを例に挙げられると、集団免疫説も単なる希望的仮説に過ぎないと思える。

 当初、トランプ大統領なども「暖かくなればウイルスはなくなるだろう」と話していたが、現時点では「まだわからない」というのが現状のようだ。アメリカCDCのレッドフォード所長が「秋に第2波が襲えば、壊滅的な被害が出る恐れがある」と述べたが、これは季節性の可能性を念頭に置いたものだろうか? 新型コロナウイルスの特徴はまだ十分解明されてはいないのだ。

 また、新型コロナウイルス治療薬やワクチンの開発について報道されることも多い。こうした報道を聞くと、すぐにでも特効薬が手に入るかと期待してしまうが、副作用の確認等の期間を考えれば、相当に長い期間を要すると思うのが無難だ。アビガンなど既存の薬で効果を挙げているものもみられるが、新薬開発により撲滅なんて日が来ると考えるのは、単なる希望に過ぎない。インフルエンザにしても、特効薬ができたのはほんの数年前のことではないか。

 となると、結局、現在の対策はいつまで続くのか。いつ、緊急事態宣言は解除されるのか。抗体検査等により市中の感染率を確認しつつ、徐々に規制を緩めていくということでしかないのではないか。その時、先行する中国や韓国の対策や状況は大いに参考になるだろう。欧米のやり方も参考にするのだろう。しかし、日本は「新型コロナウイルス対策のガラパゴス化に対する危惧」でも書いた通り、これら諸国とはかなり異なった方策でここまで来てしまった。感染の状況もかなり異なるようだ。うまく規制解除をやり切れるだろうか。

 まさか路上や施設内で突然倒れる人の姿を見たり、放置された遺体を見るといった事態にはならないと信じたい。感染率が高まれば、知人で数人は感染しているだろう。もちろん自分や家族が感染している可能性も高い。親族で死者が出る可能性もある程度は覚悟しておかなければいけないだろう。しかしそれ以上に怖いのは、新型コロナに感染しないまま、生活困窮に陥る人がどれだけ発生するかが読めないことだ。

 日本ほど生活支援対策が遅く、セーフティネットが薄い国も少ないように思われる。他国の状況が参考にならない。生活困窮による自殺や餓死が増えるかもしれない。貧困ゆえの暴動が発生するということは日本では考えられないだろうか。もちろん、緊急事態宣言の解除と共に、人々の笑い声が響く未来を見たいとは思っているが、一方でどんな暗い未来であろうと受け入れる腹積もりもしている。これほど先が読めない日々を経験したことはない。