とんま天狗は雲の上

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ミャンマーの矛盾

 ミャンマーロヒンギャに対する迫害やクーデターなどのニュースは聞いてはいたが、その内実まで深くは理解していなかった。本書は東京新聞中日新聞バンコク特派員として3年間、現地に滞在してミャンマーを取材してきた記者がその現状と実態をレポートしたものだ。

 そもそもミャンマーが多様な民族と宗教で構成された国だということを知らなかった。ロヒンギャは英国植民地時代にインド方面から移民をしてきた人々のようだが、ビルマ人でさえ実はチベット方面からの移民だったりする。英雄アウンサンのリーダーシップにより英国からの独立を勝ち取ったミャンマーだったが、少数民族との確執は治まらず、1962年、国軍によるクーデターが発生する。その後、一時的な民主化。2度目の軍政を経て、2016年、スーチー氏を国家顧問とするNLD政権が樹立された。

 しかし国軍によるロヒンギャへの迫害は続き、アラカンロヒンギャ救世軍(ARSA)によるテロと反撃を口実とした国軍等による虐殺が頻発。100万人に近いロヒンギャバングラデシュ等へ難民として流出した。こうした状況に、スーチー氏は有効な手立てを講ずることなく、ついにはスーチー氏に対するアムネスティ「心の大使賞」が取り消されるなど、ロヒンギャに対するスーチー氏の対応には批判が集まっていた。そして2021年、3度目のクーデターである。スーチー氏もまた監禁された。

 本書を読むと、そもそもスーチー氏に民主化リーダーとしての十分な資質があったのかと疑問に思うが、同時にミャンマーの政情の深刻さも痛感する。「第3章 遠い故郷」ではバングラデッシュへ逃亡する前の悲惨な虐殺の描写が続き、陰鬱な気分になる。同じイスラム教国のマレーシアへ避難する人々が紹介されるが、「第4章 さまようロヒンギャ」ではマレーシアだけでなく、インドネシアやタイなどへ逃亡した人々の姿も描かれる。だが、それぞれの国でも十分な法的資格を与えられず、不法労働などで最低限の生活を強いられている。そしてそこには、ミャンマー国内のロヒンギャに対する深刻な差別意識があった。

 ようやく「第5章 クーデターの影」になって、微かな光が見える。日本で開催されたW杯アジア予選でミャンマー代表チームから亡命したピエリヤンアウン選手のことは、サッカー好きな私はよく覚えているが、2021年のクーデターを契機に、ミャンマー国民の間にもようやくロヒンギャとの連帯の気持ちが生まれつつあるようだ。軍政に排除された民主派勢力から「挙国一致政府(NUG)」が組織され、ロヒンギャに国籍を与えるとの表明がされた。そして日本におけるミャンマー難民たちの活動も次第に力強さを加えている。

 日本政府は、安部元首相の国葬ミャンマー軍事政権を招待したように、ミャンマーに対して経済的な関心しか寄せていないようにも見える。しかし何よりミャンマー民主化ロヒンギャ難民への対応は、ミャンマー国民によってなされなくてはならない。NUGの活動などを機に、民主化と多民族融和の動きがこのまま進展し、ロヒンギャ難民の救済が達成される日が一刻も早く来ることを願う。

 

 

○民族的には、国民の約7割はビルマ人とされるが、そのほかは多様な少数民族で構成される。ミャンマー政府は…先住民族を135に分類している。ここにはロヒンギャは入っておらず、分類を巡って異論が呈されている。/宗教の面では、国民の9割は仏教徒とされるが、イスラム教徒やキリスト教徒、ヒンドゥー教徒もいる。…現在、ミャンマーで多数派をなすビルマ人だが、もともとはチベットから雲南を経て、イラワジ川流域に移動してきたと考えられている。(P43)

○スーチーは高校時代、母キンチーがインド大使に任じられたのを機にインドに移住。その後、英国のオックスフォード大学で学び、米国で国連職員として働いた。1972年には英国人で、チベット研究者のマイケル・アリスと結婚。2人の息子を産み、英国を拠点に生活していた。/1988年、スーチーは3月から、母キンチーの看病のためヤンゴンの実家にいた。/独立の父アウンサンの娘であるスーチーのもとに、民主活動家がやって来るようになり、スーチーも運動の渦に入っていく。(P69)

ミャンマーで迫害を受け、海路でイスラム教国のマレーシアを目指すロヒンギャは後を絶たなかった。いったんバングラデシュに逃れた後、制約の多い難民キャンプを抜け出し、マレーシアに向かう例も多発していた。…背後には、安全な生活と収入を得られる場を探すロヒンギャを狙い、暗躍する密航や人身売買の組織があった。(P167)

○2011年の民政移管後、「アジア最後のフロンティア」として、日本企業が争うように進出したミャンマーだったが、国軍が政治に強い影響を持ち、利権を握っているいびつな構造は維持されていた。キリンHDを巡るゴタゴタは、楽観的な期待の陰で見落とされがちだったミャンマーのカントリーリスクが、クーデターとともに吹き出したと言える。(P177)

○2021年2月1日のクーデターの後、国軍への反発から、民族間の距離を縮めようとする動きが現れていた。…国軍に対抗するために民主派勢力が4月に樹立した「挙国一致政府(NUG)」[は]6月3日…ロヒンギャに関する声明を発表した。/声明は、現行の国籍法を廃止し、隣接するバングラデシュからの不法移民として扱われてきたロヒンギャに国籍を与えると約束。…政府が定義づけた先住民族の分類に基づく血統主義から、大幅な転換になる。8P256)

○冷静な議論を阻むのは何か。主因の1つは、国民の9割を占める仏教徒らの間にあるイスラム教への反感や警戒心をあおるポピュリズム大衆迎合主義)かもしれない。/「一番嫌なのは、国軍も政党も人気取りのために、ロヒンギャを使ってきたことだ」。…チョーチョーソウはロヒンギャと共同会見を開き、その後…NUGはロヒンギャの国籍を認めるとの声明を出した。ロヒンギャと他の民族の距離は少し近付いたように見えるが、なくなってはいないと感じる。(P260)