本書が出たのは昨年の6月。収録されている文章や談話が発表されたのは昨年の3月、4月と一昨年の11月。そして2017年3月の談話が一つ。エマニュエル・トッドのウクライナ戦争に対する見方は最初から変わらない。
「第三次世界大戦はもう始まっている」というタイトルは刺激的だが、要は、この戦争はロシアとアメリカの戦争という意味だ。それ自体はそのとおりだと思うが、エマニュエル・トッドで面白いのは、こうした見解が、家族構造に関する自身の研究から出ていることだ。すなわち、核家族社会のアメリカは「自由」だが「不平等」な社会であり、外婚制共同体家族のロシアは「権威主義的」だが「平等」な社会だ。そして人種的不平等が進むアメリカはけっして民主主義的ではなく「リベラル寡頭制」であり、ロシアの「権威的民主主義」と対立していると分析する。なるほど。
また、産業構造が変容し、サービス産業偏重となったアメリカのGDPは現実の生産力を示すものではなくなっているという指摘も重要だ。「バーチャル」と「リアル」の対立という構造は、原油や天然ガスだけでなく、様々な希少金属なども含めて、よりリアル経済に根差す中露側の方が、時間がかかればかかるほど優位になっていくことを示しているように思われる。
「日本は核を持つべきだ」という主張は、日本に「自律」を促していると捉えれば、わからないでもない。もっとも、自律しなければ核保有は不可能ではないか。いや、アメリカが日本の核保有を認めるのであれば、まずは核を保有し、その上でアメリカからも離れて「自律」するという道もあるのかもしれない。それほどまでの胆力や未来を展望している政治家がいればの話だが。
ウクライナが紛争前から「破綻国家」だったというのは知らなかった。そしてアメリカの支援により、ますますウクライナ国家が破壊されていく。それでいいのだろうか。ウクライナ人はいつまでゼレンスキーに好き勝手にやらせるのだろうか。このままでは早晩ウクライナはディアスポラ国家となってしまいそうだ。
日本のマスコミや政治家、知識人も当然、本書は早い時期に読み、またエマニュエル・トッドの主張はよく承知しているだろう。なのになぜ彼の見解が日本ではほとんど語られないのだろう。みんな様子見をしている。そのうちに日本も(アメリカという)泥沼から抜け出られないようになってしまうのではないか。それが現在の最大の危惧だ。
○実はGDPだけでは、真の「経済力(生産力)」は見えてきません。…産業構造が変容し、モノよりサービスの割合が高まるなかで、次第に「現実を測る指標」としてのリアリティを失っていったのです。…サービス分野では「現実」から乖離した過大評価が往々にしてなされてしまうのです。…アメリカは、いわば「幻想の経済大国」です。…現在、ウクライナ戦争が「グローバル化=世界戦争化」し、さらに「消耗戦」となることで生じつつあるのは、経済における「バーチャル」と「リアル」の大いなる対立です。(P66)
○核を持つことは、国家として“自律すること”です。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という“偶然に身を任せること”です。アメリカの行動が“危うさ”を抱えている以上、日本が核を持つことで、アメリカに対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです。(P86)
○ロシアでは、権威主義的かつ平等主義的な家族構造…から「共産主義」が出現しました。…一方、アメリカでは、自由主義的かつ非平等主義的な家族構造の文脈から、平等主義的文化はいち早く確立しました。…しかし…アメリカにおける「平等」という思想は、あくまで「白人同士における平等」であり…「人種主義に由来するもの」なのです。…ソ連の「全体主義的民主主義」とアメリカの「人種主義的民主主義」(P121)
○私は民主主義を「制度としての民主主義」と「心理や感情としての民主主義」という二つの側面から見ていますが、社会の内部に民主主義的感情が見られず、これだけ分断が生じているアメリカやイギリスに「民主主義の守護者」を名乗る資格などないのです。/個人的には、これらの国を「リベラル寡頭制」と呼ぶべきだと考えます。…いまの世界で生じている真の対立は、「民主主義陣営VS専制主義陣営」ではなく「リベラル寡頭制陣営VS権威的民主主義陣営」だということがわかります。(P169)
○戦争が長期化すればするほど、多数のウクライナ人が犠牲となり、難民として国外に逃れ、ウクライナの建物や橋は破壊されていきます。ロシアによる侵攻前に、大量の人口流出によってすでに「破綻国家」に近かったウクライナが、この戦争によって、さらに破壊されていくのです。/要するに、アメリカは“支援”することで、実はウクライナを“破壊”しているわけです。(P206)