とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

一人称単数

 村上春樹はもう72歳になる。それでまだこんな小説を書いているのか。「ふとした成り行きで一夜を共にすることとなった」女性。最初の「石のまくらに」の書き出しを読んで、まずそう思った。彼女から送られてきたという歌集の中の短歌もピンとこない。ちなみに主人公である「僕」が若い頃を回顧するという設定。その他の短編も同様に、「僕」もしくは「ぼく」が若い頃の経験を振り返る。いや、正確には「品川猿の告白」は5年前のこと。書き下ろしの「一人称単数」だけが「私」と自称し、現在進行形で綴られる。

 もともと村上春樹と言えば、「僕」が語る一人称の小説が定番だったから、違和感はない。若い頃は作中の「僕」に感情移入し、自分がその主人公になったつもりで読み進めた。小説のように「女性とすぐにセックスできる」なんてことはなかったが、それ以外はけっこうリアルに感じることができた。それが村上作品にのめり込んだ理由。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を初めて読んだ後、ほぼ全ての村上作品には目を通している。

 だが次第に私も歳をとった。「愛ゆえの反ハルキスト宣言」を読んだせいかもしれない。いったい村上作品の何が面白いのだろう。村上春樹の本だから読むのではなく、村上春樹という作家が書いた短編小説として読んでみた。そしてどれも正直、「特別面白いわけではない」と感じた。「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」と「ヤクルト・スワローズ詩集」は少し興味深い。半分エッセイのようなこの2編には筆者の強い思い入れが書かれている。なので、別にスワローズ・ファンではないが、理解はできる。バードが夢の中で自らの死について語る場面などは、強く共感もする。

 そう、村上春樹はもう70歳も超えて、もうすぐ後期高齢者なんだから、その年齢ゆえの思いや感情を書いてほしい。いつまでも若者ぶるのではなく、若かりし頃を回顧し追憶するのではなく、72歳の高齢者として、死がすぐ手前にある者として、その心情を表現してほしい。その方がはるかに説得力があるし、勇気づけられる。

 「一人称単数」の最後のシーン。「階段を上り切って建物の外に出たとき、季節はもう春ではなかった。空の月も消えていた」(P234)。そんなこともあるだろう。それが小説となるのは、若いからだ。季節が廻り、明日は今日の次にやってくることが日常だからだ。だが高齢者の日常はそうではない。明日は昨日であり、今日は突然10年後になったり、30年前に戻る。そうした日常を描いてほしい。そして、人生や死の意味を教えてほしい。村上春樹の次作には、後期高齢者ならではの読み応えのある小説を期待したい。

 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

 

 

○これまでの人生で、説明もつかないし筋も通らない、しかし心を深く激しく乱される出来事が持ち上がるたびに…ぼくはいつもその円について―中心がいくつもあって外周を持たない円について―考えを巡らせた。…でもそれはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。…たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり…するとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないか(P47)

○「死はもちろんいつだって唐突なものだ」とバードは言った。「しかし同時にひどく緩慢なものでもある。…それは瞬く間の出来事でありながら、同時にどこまでも長く引き延ばすことができる。…そこでは時間という観念は失われてしまう。そういう意味では、私は日々生きながら死んでいたのかもしれないな。しかしそれでも、実際の本物の死はどこまでも重いものだ。…そして私の場合、その存在とは私自身のことだった」(P66)

○歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。…むしろ自分と同年代であった人々が、もうすっかり老人になってしまっている……とりわけ、僕の周りにいた美しく溌剌とした女の子たちが、今ではおそらく孫の二・三人もいるであろう年齢になっているという事実だ。そのことを考えると、ずいぶん不思議な気がするし、ときとして悲しい気持ちにもなる。(P73)

○人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。「我々の与えられたそういうアドバンテージは、君らにはまず理解できまい!」、僕は満員の読売ジャイアンツ応援席に向かって、よくそう叫んだものだ(もちろん声には出さなかったけれど)。(P131)

○「失礼」と言って、にっこり微笑んで席を立ち…手早く勘定を済ませてせきるだけ遠くに離れる―それが何より賢明なやり方だった。…寡黙な撤退戦はむしろ得意とするところだ。/でもそのとき、なぜかそうはしなかった。…それが限界だった。…手早く現金で勘定を払って店を出た。…私はそこで彼女に何か反論するべきだったのだろうか?(P229)