とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

 初めて読んだ村上作品がこの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だった、と思う。2つの全く印象の異なるストーリーが同時並行し、次第に混じり合い、ついに一つの世界となっていく。その構成、見事な描写力、巧みさに瞬く間に村上世界の虜になった。
 「1Q84」の大ヒットにより国民的作家になった村上氏だが、自分の中のムラカミハルキを探るためにも、もう一度この作品を読んでみたいと思った。そして改めてそのエンターテインメント性や表現力・文章力の確かさを楽しむとともに、村上作品に共通する人生観=普通に生きることの価値と共感がここにも溢れていることに気付く。
 「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」は、「個人」と「社会」とも言えるし、「死」と「生」になぞらえることもできる。ふたつの世界に生きるふたつの僕は、「生」の側、社会の中で奔放に生きる世界、自然な死を受け入れる自然な人生の側で一つになるかと思われたが、最後の最後で「死」の側、「個人」の側を選択する。しかし僕の意識の核である「世界の終わり」の側にも、記憶や人生の意味、心に至るほのかな希望が見え始める。かすかな希望を求めて自己を受け入れることは、社会のシステムにまみれて生きていく人生よりも価値があるかもしれないし、ないかもしれない。
 大事なことは自分で選択するということだ。その結果がどうあれ。それこそが自分の人生だからだ。そしてその価値を村上氏は共感を持ってやさしく支持してくれる。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

●これは間違ったことだし、ここは間違った場所であるように俺には思えるね。人は影なしでは生きていけないし、影は人なしでは存在しないものだよ。(上P109)
●「私には心というものがとても不完全なもののように思えるんだけど」と彼女は微笑みながら言った。・・・「僕もそう思うね。とても不完全なものだ」と僕は言った。「でもそれは跡を残すんだ。そしてその跡を我々はもう一度辿ることができるんだ。雪の上についた跡を辿るようにね」「それはどこかに行きつくの?」「僕自身にね」と僕は答えた。「心というのはそういうものなんだ。心がなければどこにも辿りつけない」(上P314)
●「この世界では誰もひとりぼっちになることなんてできない。みんなどこかで少しずつつながっているんだ。雨も降るし、鳥も鳴く。腹も切られるし、暗闇の中で女の子とキスすることもある」(上P395)
●しかしもう一度私が私の人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれが―その失い続ける人生が―私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。(下P234)