とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?

 内田樹高橋源一郎が季刊誌SIGHTで連載している対談を6回分掲載。尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件が発生した2010年秋から、東日本大震災を挟んで、2012年2月までの対談を収録。今思うと、中国漁船衝突事件なんてずいぶん昔のことのように思えるけど、ほんの2年前のこと。東日本大震災をまたいで日本の状況は大きく変化したように思うけれど、対談の内容はほとんど変わらない。
 本書の前に刊行された「沈む日本を愛せますか」でも「国としての力が下がっていても、それでも気分よく暮らすことはできる」と書いているけれど、本書でも同じ。「負け戦を楽しく生きるのが大人の知恵」って。でも、前書よりも政治家への失望が多く語られている。それは東日本大震災というある意味わかりやすい時代転換を示すメルクマークがあったのに、まるで何もなかったかのように成長社会を前提にした政治しか続けられない民主党政権第三極としての橋下徹の台頭など、日本政治がますます混迷を深めているから。
 それでも、橋下徹の登場も「僕たちが呼び寄せた」と反省しつつ、例え僕らが死んでも「この世界」は続くと楽観的に日本を語る。「この世界」の次世代への渡し方を倫理という言葉に置き換えつつ。
 その他にもとにかく多彩な話題、多様な視点からの対談が次から次へと展開される。どの部分を読んでも楽しく、気持ちよく、考えさせられる。世界はすごく複雑で、わかりやすい言葉で回収できないからこそ楽しい。沈む日本を僕もますます楽しまなくっちゃ。

●システムがクラッシュするのは、誰も責任を取らないからなんだよ。・・・責任を取るっていうのは「自分の身体を差し出す」っていうことなんだけどさ、それができるのがリアリストなんだよ。今の政治がダメなのは、・・・政治家たちがリアリストじゃなくなっているからなんだよ。みんなイデオロギーの人になってしまった。(P040)
●これが現実だと僕らが思ってる現実が、本当は現実の全部じゃなくて。その周りにカッコがある、自分たちの”現実性”みたいなものを成立させている外側があるってことは、みんな知ってるの。外側には回路がある。・・・こちらの言語には回収できないし、こちらのロジックでも説明できない。でも、明らかにあるの。そのことをちゃんと書いてる人たちが、やっぱり、哲学でも文学でも、ずっとメインストリームなのよ。(P118)
●僕たちは「この世界」に仮に住んでいるだけだよね。「この世界」は、僕たちのものじゃない。住んでる人間は変わるけど、この家はずっと続く。ある時期までは使ってていいけれど、ある時期を過ぎたら片づけて、お掃除して、「この窓、古びたから替えとくね」と言って、次に住む人に渡す。倫理っていうのは、そういうもんでいいんじゃないか。それ、礼儀ですよね。(P171)
●身体っていちばん身近な自然でしょ? どんなに都市化が進んでも、自分の生身という自然からは逃れられない。・・・だから、僕は自然の上に軸足を置いているほうが落ち着くの。身体という自然を基準にして生きていると、記号的で抽象度の高いシステムの上に生活基盤を置くのが、息苦しくなるんだ。(P185)
祝島の人たちがやってるのは何かっていうと、たぶん、「負け戦」なんです。だって、近い将来、人口がゼロになるんだから。そういう意味では、僕たち人間はみんな負け戦をしているわけ。最後、死んじゃうんだからね。負け戦が通常の状態だって考えればいい。・・・その代わり、どうやって楽しく負け戦をしていくかってことが、大人の知恵になると思うんだ。(P242)