とんま天狗は雲の上

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いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

 1994年に刊行された「人間を幸福にしない日本というシステム」を大幅に加筆・改訂したもの。東日本大震災、そして福島第一原発の事故があってなお、旧来の、いやそれ以上の米国追従、極右政権を選択した日本。この日本という政治システムはどうやって埋め込まれ、どういう力で動いているのか。筆者はそれを官僚独裁による自動操縦システムだと看破する。
 戦後、敗戦の中で「欧米に追い付き追い越せ」というスローガンの下、産業発展こそ軍部に変わる安全保障だと目標を定め、中産階級に会社貢献を強いて政治に目を向けさせないようにし、経済界と官僚で作り上げた政治的社会システム。政治家は政界内の梯子登りに精を出して本来の政治的決断は官僚に丸投げ。官僚も無限の産業発展を目標に前例に倣って自動操縦すれば、回っていく社会。そうして出来上がった政治的中枢の不在を埋めたのはアメリカ。日本国民をアメリカの超富豪に奉仕する奴婢として差し出す「人間を幸福にしないシステム」。それが日本だ。
 90年代初頭の日本のバブル経済について、大企業にタダ同然の生産投資を促す政策であったと独自の解釈を披露。さらにその後の失われた10年、ITバブル、リーマンショック、そして大震災後の日本の政治状況、小沢問題、二重の政権交代などを解釈しつつ、そこに日本ならではの中枢なき自動操縦システムが機能していることを指摘する。自動走行の先はレミングよろしく崖になっていることも知らずに。
 だが、同時に、市民にとって日本の状況は欧米よりもまだマシだし、可能性もあると勇気づける。そして勇気ある行動を促す。我々は真に我々のための国家を築けるだろうか。それは我々日本市民にかかっている。私も心して注意深くあり、かつ勇気を持って行動したいと思う。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)

●日本の新聞の大半は、市民に政治の、そして究極の現実を伝えることがみずからの使命だとは考えていない。そこで彼らは市民たちを「純粋」かつ政治的に無知な状態にとどめておくのに協力する。メディアは日本の生活や経済、政治について、実態とは異なる、あくまでたてまえの現実「管理」に協力しているのである。(P29)
●日本は説明責任ある「国家」ではない、いわば国家なき国である。そのような日本のいまの政治システムは、市民としての日本の人々を裏切っている。なぜならだれも説明責任を負わず、国の指針もなければ、リーダーも不在であり、市民としての国民が国の命運について理にかなった話のできるような彼らの代表者、すなわち議員もいないからだ。(P93)
●戦後の日本経済を形づくった主要な政策決定を検証してみると、日本の戦略家たちは人々の暮らし向きをよくしようなどと考えていなかったことがわかる。彼らはむしろ国家の安全保障を重んじていた。(P183)
●日本では無限の産業発展という目的が適切かどうか検証されることはないのに、国を守るための当然の使命と受け止められている。そしてこのことが管理者たちにとっては現体制の維持を可能にしてくれるものであり、さらに日本にとって現体制の維持とは、生産力を拡大し続けていくことなのである。(P300)
●真の意味での政治的な中枢が日本に欠如している状態が、日本が異常なまでにアメリカに依存するというこの両国関係にきわめて大きな影響をおよぼしていることが、私にも次第にわかってきたのだ。つまり政治の中枢が欠如しているから、日本はアメリカに依存し続けている、ということなのだ。(P272)