とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

村上さんのところ

 村上春樹が期間限定でメールを受け取り、それに対して村上春樹本人が返事を送る。返事を書いた3716通のうち、473通を選び収録した。1通1通は短いコメントだが、473通にもなるとさすがに多い。重複する内容のものは選定しなかった(コンプリート版は別途、電子ブックで発売)そうだが、これだけ読むとやはり、村上春樹の基本的な姿勢や思想は見えてくる。そしてそのほとんどは心地よい。音楽関係のコメントにはついていけないが、批判や悩み、夫婦関係などへの対処法には参考になることも多い。いや、この年になると参考ではなく、やっぱりそうだよなと思うことがほとんどだが。

 読んで興味を惹いたのは、セクシャルなシーンを描くことに対するコメント。「それが人間の心のある種の領域を立ち上げていく」というのは、なるほどと思った。「心とはある意味では夢と同じです」とはまさに慧眼。自分の心さえ、自分の思いどおりにならない。でもそんなときは「猫に学べ」と言う。「人生の大事なことはだいたい猫から学べます」というのは冗談としても、村上春樹って本当に猫好きなんだ。

 スワローズ関係のメールとコメントも多い。スワローズ、優勝してよかったですね。村上春樹がどうやって喜んでいたのか興味がある。「フン」と言ってワイン片手に、でも優勝特番を最後まで見ていただろうか。それともやはり規則正しくいつものように早めに眠りについた? つば九郎の踊る夢でも見ながら。

 一つ意外だったのは、村上春樹の本の中で役立った言葉ベスト3で挙げられた2つの言葉、3位「良いニュースは小さな声で語られる」と2位「お店を始めるときは、道に座って道ゆく人の顔をながめる」について、「そんなこと書きましたっけ?」と書いているところ。あれ、私もこの二つは覚えている。逆に1位は覚えていないんだけど、そちらは覚えていると書いているのが意外。もっとも1位の言葉はフィッツジェラルドの友人の言葉だそうなので、村上春樹自身が読んだ言葉は覚えているが、書いた言葉は覚えていないということらしい。わからないではないが、そんなものかなと思った。

 いずれにせよ、励まされる。でももう読み終わってしまった。誰かが村上春樹の全作品やコメントを編集して、人生に悩んだとき、困ったときの村上春樹言葉辞典でも作ってくれないか。そういえばどこかに「人間は容れ物であって、中身の人生こそが大事」という趣旨のコメントがあったと思うけど、どこにあったかわからなくなってしまった。誰かわかりやすい村上語録の索引を作ってください。

 

村上さんのところ

村上さんのところ

 

 

○僕がセクシャルなシーンを書くのは、それが人間の心のある種の領域を立ち上げていくからです。そういうことがときとして物語にとって必要になります。暴力や血なまぐささもそれと同じです。非現実的なできごともそうです。それらが物語を有効に起動させていきます。(P21)

○批判に強くなる方法はひとつしかありません。批判を目にしないことです(笑)。・・・「おまえは創作者になりたいのか、それとも評論家になりたいのか、どっちなんだ?」と自分に問いかけてみることです。そうすると「どれだけこっぴどく批判されても、何もつくり出さずに批判だけする側に回るよりは、何かをつくり出して批判される側に回る方が、まだいいよな」と思えるはずです。(P49)

○猫なんて自分の見たいところしか見ていませんよね。前も後ろも、右も左もありません。猫に学びましょう。人生の大事なことはだいたい猫から学べます。(P106)

○心とはある意味では夢と同じです。いつも正しい論理に従って動いていくものではありません。(P146)

○主体性vs.制度、悟性vs.神意、あるいはロジックvs.カオスといった西欧的図式こそが、現在(それこそ)いくぶんの見直しを求められているのではないかと、現今の世界情勢を見ながら、僕なりに愚考しているのですが。(P177)

○人は多かれ少なかれみんな病んでいます。意識を抱え、二本足で立って生きるという作業自体が、基本的に病んでいるのです。それに自覚的な人と、あまり自覚的でない人がいるだけです。僕の読者だけが(それも女性だけが)病んでいるわけではありません。僕の読者に自覚的な人が多い、ということは言えるかもしれませんが。(P209)