とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

逆立ち日本論

 養老猛司と内田樹の対談本。対談本は内容が浅く広くとなりがちであまり好きではないが、これは面白かった。「われわれはおばさんである」という第1章で軽く両者の紹介があり、第2章の「新・日本人とユダヤ人」でさっそくユダヤ人論が語られる。第3章「日本の裏側」、第4章「溶けていく世界」でグローバル化における日本の立ち位置を巡る国際論、日本論。第5章「蒟蒻問答主義」以降、第8章「随処に主となる」まで主に生き方・人生論と言える。
 面白い理由は、両者の学識が奔放に披露され、その自由さ、視点の多角さが心地よいこと。「まえがき」で養老猛司が「内田さんに大いに語ってもらいたかった。だから私は聞き手」と言っている。そのとおり、もっぱら内田樹がしゃべりまくり、養老猛司が間の手を入れる。だが「あとがき」で内田樹は「養老先生が出す公案に私が必死になって答えを出し・・・」と書いている。そうかもしれない。内田氏のしゃべる内容は、他の内田本と大して変わらないかもしれないが、それをうまく引き出す養老氏の妙が、この対談本をテンポのよい面白いものにしている。養老猛司の本も読んでみたくなった。

逆立ち日本論 (新潮選書)

逆立ち日本論 (新潮選書)

●すでに相手が私に対して何か「善きこと」を行っていて、自分はその遅れてきた受益者である。すでに負債を負っている。私は先行する「なにか」の被創造物である。それをレヴィナスは「主体性はそのつどすでに有責である」という言葉に言い換えている。でも、その「遅れ」の感覚があらゆる宗教の基本にあるのではないか。(P66)
●近代人は無意識のうちに、言語というのは、「理屈」であって、いつでも論理的な意味を持つと誤解しています。でも、言葉は相手の脳にじかに訴えかけるもっと強い力を持っている。言葉は「直達」する力を持っている。(P86)
●インターナショナルということは辺境だということにそのとき初めて気づきました。中心地がもっともインターナショナルだと思っているのは、日本が島国だからでしょう。大陸に行ったら、異世界に接する辺境こそがもっともインターナショナルなのです。(P98)
●アメリカは政治に関する言説構造があまりに単純ですよね。自分たちは「グッドガイ」で、自分たちに反対するのは「バッドガイ」だという、単純なストーリーラインの中に、全部落とし込んでしまう。・・・ある程度の政治力を持ちたいと思ったら、嫌でもシンプルな政治的立場に立って発言しなきゃいけない。(P222)
●州が統治者養成システムとして機能していて、大統領の失政をリスクヘッジしている。・・・このフレキシブルでかなりでたらめなシステムこそ、近代アメリカの劇的な成功の秘訣だとぼくは思うんです。(P228)