とんま天狗は雲の上

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直轄負担金と国庫補助金

 先週の新聞に、民間の建物の中でアスベストが使用され撤去されていないものが約280万棟もあると推定されるという記事が載っていた。これはかなり大変な事態という感じで書かれていたが、同時に民間建築物のアスベスト調査や撤去費用に対して補助を行っているのは1割に過ぎないとも書かれており、まるで市町村のせいという感じがした。
 「国交省は、アスベスト使用の可能性がある民間建築物の解体のピークは約20年後と予想。社会資本整備審議会の意見を聞きながら対策を検討している。」ということだが、本当にアスベストが問題であるのならば、市町村任せではなく、自ら民間の建物所有者に対して撤去費の補助をすべき。
 市町村にしてみれば、アスベスト工場周辺での被害報告はあるものの、それ以外の地区でアスベスト起因の悪政中皮腫や肺ガン発症が問題になっている実態もないことから、福祉や地震対策等に優先する対策とは考えられないというのが実態だろう。
 市町村が積極的になれない施策として、他にはホームレス対策や公営住宅などがある。昨年末の派遣切り問題が沸騰した時には、周辺市町村の窓口が名古屋に行けばホームレスの収容施設があると片道切符を渡した、なんて噂もあって、当時の名古屋市長が「いい加減にしてほしい」と訴えたというニュースもあった。
 地方自治体が積極的に推進したくない事業に対して補助金を支給し、事業に取り組まないと新聞等に公表して脅すというのは国からすれば常套手段かもしれないが、一般的にはそれは「恫喝」といって犯罪行為だ。逆に直轄負担金のように、国がやりたい事業を勝手にやって、応分負担の請求書を送りつけるというのは「詐欺」か「不法請求」。もちろん根拠法令はあるのだろうが、対等の関係とは言い難い。
 一般社会であれば、やりたい人が自分でお金を用意して自分でやるというのが本来の姿で、他人からもらったりやったりするのは、どうしてもお互い不満も出るし、不具合も生じる。補助金であれば、欲しいと言われてあげるのが本来で、押しつけはおかしい。負担金であれば、事前に相談し納得のうえで事業はすべきで、相談もなく実施して請求書だけ回すのはおかしい。
 当たり前なんだけど、行政の世界では当たり前でない。これを当たり前と感じる習慣や文化はいったいどこから来たんだろうか。元請け企業と下請け業者。武士と農民。それとも戦後の日米関係? これまで何の矛盾も感じずに回っていた慣習に違和感を感じる時は、それを取り巻く環境が変化して、これまでの慣習を見直す必要がある時なのだろう。直轄負担金制度も国庫補助金制度も、さらに言えば地方自治制度も、抜本的に見直す時が来ている。その時に参考にすべきは、一般社会の常識なのだろうが、官僚や政治家に一般常識や庶民感覚を期待するのは無い物ねだりだろうか。