とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ミーナの行進

 「博士が愛した数式」から読み出したミーハーな小川洋子ファンにとっては、ようやくよく似たタイプの小説にたどり着いたとほっとする。小川洋子の作品を読み進んでいくと、意外に性的で暗くて内面的な内容のものが多いことに気付く。それも面白いが、やがて飽きてくる・・・。
 もう読まなくてもいいかな、と思い始めたこの頃、ようやくこの作品に出会った。ほのぼのとして少しもの悲しくあたたかい。添えられたイラストも素敵(イラストレーターは寺田順三)。こんな作品なら次も読みたくなる・・・。
 主人公の朋子は中学1年生。家庭の都合で芦屋に住む大金持ちの伯母さん家族の下に預けられる。ユダヤ系ドイツ人のローザおばあさん。ローザおばあさんと双子のように寄り添うお手伝いの米子さんと小林さん。酒と煙草で淋しさを紛らわすが心優しい伯母さん。ハンサムだが長期に不在がちの伯父さん。そして娘のミーナ。こんな家族に囲まれ過ごした1年間の出来事が綴られている。
 時代はミュンヘンオリンピックのあった1972年。「ミーナの行進」のタイトルは、病弱なミーナがコビトカバのポチ子の背中に乗って通学する様子を指す。マッチ箱をコレクションし、その図柄から素敵な物語を編み出すミーナ。淡い二人の初恋。留学中の兄の帰省。ミーナの初恋と父の不倫に決着をつける1日の冒険。山火事騒ぎ。ポチ子の死。そしてミーナは一人で行進を始める。
 病気、死、不倫、失恋、家業の没落、事故・・・。どこか不穏な空気を漂わせながら物語は進行するが、最後は・・・。とってもなつかしくあたたかく、いつまでも読んでいたい気持ちになる素敵な作品でした。

ミーナの行進 (中公文庫)

ミーナの行進 (中公文庫)

●「これ、同じ漢字、二つくっついている。仲良く並んでるじゃない?」「うん、そう、月が二つ」「こんな漢字、前からあった?知らなかった」「友だち、とか仲間、っていう意味よ」「いいねえ。とてもいい漢字。だってお月様は二つないもの。ないものなのにこうして二つある。ということは、とっても大事な仲間同士ってことよ。同じ大きさで、上と下じゃない。横に並んでる。そこがいいね。平等なの。一人ぼっちじゃないの。(P68)
●部屋の壁に、天井に届くほどの本が並んでいる。声高に存在をアピールするでもなく、派手な飾りを見せびらかすでもなく、ただ静かにそこにある。外見はどれも代わり映えのない四角い箱に過ぎなくとも、彫刻家や陶芸家が生み出す形の美しさと等しいものが、そこからにじみ出ている。一ページ一ページに刻まれている言葉の意味は、本当はその箱に収まりきらないほど深慮なのに、そんなことは素振りにも出さず、誰かの手によって開かれるのをじっと待っている。その辛抱強さを、尊いと感じるようになった。(P83)
●マッチ箱の箱を作っている間が唯一、ミーナにとっての遠出の時間だったかもしれない。低気圧や排気ガスや坂道にひやひやする必要もなく、草原だろうが海原だろうが好きな場所を旅することができる。もちろんお供には、ポチ子を連れてゆく。小さな箱の世界を彼らは行進してゆく。(P120)
●ローザおばあさんと米田さんは双子の姉妹のように寄り添っている。そしてミーナはその栗色の瞳で、レンズよりももっと向こうの、どこか遠くを見つめている。皆の後ろには、私の大好きだったあの優美な洋館が写っている。写真を見るたび私はつぶやく。全員揃っている。大丈夫。誰も欠けてない。(P206)
●たとえ眞でも、消えてなくなるわけではないのだ。この世の物質は決してなくならず、姿を変えるだけなのだ。少女は少しほっとしました。死んだあとの自分が、昆虫の抜け殻の模様になったり、流れ星になったりしている様子を想像すると、ゆっくり眠れるような気がするのでした。たくさんの死骸を隠したベッドの中に、少女は安心してもぐりこみました。(P341)