とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

天使と悪魔

 「ダヴィンチ・コード」はけっこう夢中になって読んだ。最近、暑さのせいか、ストレスのせいか、あまり難しいものを読みたくない気分。それで「ダヴィンチ・コードよりも面白い」という映画のコマーシャル・トークに乗せられ、ついつい上巻を買ってしまった。
 ところがこれがさっぱり面白くない。ボストンからジュネーブまで1時間で飛ぶ宇宙航空機X-33が完成し使用されているところからウソっぽければ、反物質が生成され保管されているというところもホンマかいな? 科学と宗教がテーマではあっても、実在しない科学を見せつけられては、やや興ざめ。ということで、中巻・下巻はBOOK-OFFで購入し、続きを読んだ。
 ところがローマ・ヴァチカンに秘められた秘密結社イルミナティの謎を追う場面になると、さすがに面白い。引き込まれるように読んでしまった。犯人の逆転や冒険活劇シーンもふんだんで、確かに映画にすれば面白いだろうなあと思う。もっとも映画は原作とはかなり違うようだが。
 しかしどうして宗教的象徴解釈の部分がこんなに面白いのだろう。その理由を、先街晶之氏は解説で「合理主義的精神のゆえ」と説明している。確かにそうかもしれない。しょせんそれは合理的な説明をつけただけのまがい物ということに注意しなければいけないが。
 ということで、信じやすい私はやっぱりこうしたミステリー物は極力読まないようにしよう、と思った次第。

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

●ガリレオの主張は、科学と宗教とは敵ではなく友である、ひとつの物語を紡ぎ出すふたつの物語であるというものでした。天国と地獄、夜と昼、熱さと冷たさ、神と悪魔・・・そんな均整と調和に満ちた物語であり、科学と宗教は、神の与えたもうた調和をー光と闇との果てなき葛藤を享受できるのだと(上P64)
原子力の場合は安全性を確立する前に量産され、事故が多発した。太陽熱の場合は効率を高める前に量産され、人々は金銭的な損害をこうむった。(上P148)
●科学が解明しようとしている問題の半分は、科学自体が引き起こしたものだ。”進歩”こそ、この母なる地球における究極の害悪である。(上P171)
●信仰は普遍的なものよ。理解するための手段が異なるだけ。ある者はイエスに祈りを捧げ、ある者はメッカへ赴き、ある者は原子を構成する粒子を研究する。結局はだれもが真実を、自分より偉大な存在を探しているだけなのよ。(上P196)
●どんな組織的信仰にも、ほんとうの意味で独自のものはほとんどない。宗教というのは何もないところから生まれたりしないものだ。影響し合いながら大きくなっていく。現代の宗教はコラージュだよ。・・・神を理解したいという人類の探求の歴史が同化されている。(中P102)
陰謀史観を単なる非合理的精神と蒙昧の産物と考える人も多いかもしれないが、実は陰謀史観とは、現実の世界の虚偽と混沌に耐えられない人間が、より見通しが良く整合性を具えたもうひとつの世界を幻視しようとする試みであり、ある意味で極端な合理主義的精神の行き着く先とすらも言い得るのだ。(下P331)