とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

天皇は内閣に従うべきか、宮内庁長官に従うべきか。それとも自由意思に任されるのか。

 宮内庁長官の政治利用という発言があり、小沢幹事長の応酬批判があり、天皇って何だろうと考えた。もっとも考えただけで、大して調べたわけではないので、間違いや思い込みが多いのはブログの常とご容赦ください。
 日本国憲法には「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と書かれている。米国が提案した象徴の原語はシンボルだそうだから、言ってみれば「日の丸」や「桜」や「富士山」のようなものか? 「日の丸」や「桜」や「富士山」はそれ自体は何も話すことなく、見る側が勝手に思いを募らせる対象物である。同じように、天皇の存在自体が国民のシンボルであり、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあるように、政治的な行為はしないことになっている。
 シンボルは使う側の意図や用法により、その効果が発生するように、天皇も国事行為を通じて、シンボルとしての効力を発揮する。憲法第7条では、国事行為が列記してあり、第9号には「外国の大使及び公使を接受すること」とあるので、今回の中国副主席との面会はこれに当たるのだろうか。ブログを当たってみたら、国賓は大使ではないので、公的行為であり、国事行為には当たらないとあったが、準ずるものとして考えるのが当然だろう。
 とは言っても、大使・公使と言えど常に接受するのではなく、「内閣の助言と承認により」とあるので、内閣が取捨選択する規定になっている。1ヶ月ルールは準備する宮内庁の内規で、内閣の助言が別のところにあれば、それを優先するのが事務方としてはあるべき対応だろう。杓子定規を振り回すのでなく、健康の問題など具体的な事由を述べることが必要だったのだろう。もっとも天皇自身が拒否をしていたら話は別だ。
 天皇はこれらの国事行為を行うことが定められている。国事行為以外の行動をとることはできるが、国政に関わる行動は禁止されている。国事行為に対して拒否権はあるのだろうか。これにもWIKIによれば、内閣法制局は内閣委員会で「天皇はこれを拒否する権能、変える権能はない」と答弁しているそうである。
 憲法の第1条で、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるように、内閣の助言にそむく行動をとるようであれば、その地位は国民の総意により廃されると考えるのが相応だ。
 結局、天皇は、内閣の指示に従い、国事行為を行う責務があり、公的行為についてもシンボルとして、国民の総意や内閣の助言に従うことが求められているということにならないか。少なくとも、内閣の助言と宮内庁長官の意見が対立した場合には、内閣の方が優先されると考えるのが真っ当であり、最終的には天皇自身の意向を伺うことが必要になるのではないか。