とんま天狗は雲の上

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日本の近代とは何であったか

 私は筆者の三谷太一郎氏を知らなかったが、日本を代表する政治・歴史学者ということらしい。バジェットの紹介から始まった序章は難解で、これは最後まで行き着けないだろうと覚悟をしたが、第1章から「なぜ日本に政党政治が成立したのか」「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」「日本の近代にとって天皇制とは何であったか」と逐次、日本の歴史を振り返りつつ検証していく段になると、途端に身近でもあり、わかりやすくなる。

 政党政治の成立は、本来、西洋からの独立を掲げた反政党内閣論者の伊藤博文が、貴衆両院の政治勢力を組織化するために立憲政友会を立ち上げたところから始まった。不平等条約からの脱出を目的に自立的資本主義の形成を目指した大久保利通と、彼の下で非外債政策を継承した松方正義、並びに、積極的産業化政策を継承した前田正名。その後、日清戦争を経て、高橋是清、さらに彼の下で薫陶を得た井上準之助の活躍により、国際的資本主義の時代へ入っていく。しかし、経済政策としての植民地政策は日本の場合、安全保障政策と一緒になり、日本独自の植民地帝国構想になっていく。

 こうした政治・経済の動きの中で、憲法はいかに成立していったかと考える時、実は憲法ではなく、教育勅語こそが近代日本人の精神を形作っていったことを指摘する。井上毅がいかに教育勅語を構想したか。なぜ、政治的命令ではなく、天皇自らの意思表明という形式にしたかなどの意図が明確に説明されている。昨今の教育勅語を再評価する風潮と考え合わせて、改めて教育勅語の意味と考えてしまう。

 最近は政治状況もかなり混沌としているが、現代は近代の後ろにあり、また将来は近代と現代の後に作られることを思うと、「日本の近代とは何であったか」という問いは、日本の将来を考えるにあたり、重要な視点の一つだ。難しかったが、読了すればなるほど、目から鱗が取れた思いがする。後世につなぐべき好著と言える。

 

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

 

 

五・一五事件を経て成立した「政党・官僚の協力内閣」である斎藤實内閣に対して、蠟山が「唯一の道」として提言したのは、「議会に代わるべき権威ある少数の勅令委員会」、要するに天皇によって正当性を付与された行政権に直結する専門家組織による「立憲的独裁」でした。・・・私は、今後の日本の権力形態は、かつて1930年代に蠟山正道が提唱した「立憲的独裁」の傾向、実質的には「専門家支配」の傾向を強めていくのではないかと考えています。これに対して「立憲デモクラシー」がいかに対抗するのかが問われているのです。(P79)

〇日本の植民地帝国構想が経済的利益関心よりも・・・日本本国の国境線の安全確保への関心と不可分であったということです。ヨーロッパの植民地が本国とは隣接しない遠隔地に作られたのに対して、植民地帝国日本の膨張は、本国の国境線に直結する南方および北方地域への空間的拡大として行われました。いいかえれば、日本の場合にはナショナリズムの発展が帝国主義と結びつき、しかもそのことが欧米諸国とは異なる日本の植民地帝国の特性をもたらしたと見ることができます。(P151)

〇こうしてアジア諸国は、戦前・戦中は地域的覇権国たる日本によって、戦後は世界的覇権国たる米国によって課された「地域主義」から解放され、今や相互の対等性を前提とした「水平的統合」を志向する新しい「地域主義」を模索しつつあるように思われます。それはアジアにおいて、全く初めての歴史的実験です。(P200)

〇ヨーロッパにおいてキリスト教が果たしている「国家の基軸」としての機能を日本において果たしうるものは何か。・・・日本の憲法起草責任者伊藤博文は、仏教を含めて既存の日本の宗教の中にはヨーロッパにおけるキリスト教の機能を果たしうるものを見出すことはできませんでした。・・・そこで伊藤は「我国にあって機軸とすべきは独り皇室あるのみ」との断案を下します。「神」の不在が天皇の神格化をもたらしたのです。(P214)

〇相互矛盾の関係にある両者のうちで、一般国民に対して圧倒的影響力をもったのは憲法ではなく教育勅語であり、立憲君主としての天皇ではなく、道徳の立法者としての天皇でした。「国体」観念は憲法ではなく、勅語によって(あるいはそれを通して)培養されました。教育勅語は日本の近代における一般国民の公共的価値体系を表現している「市民宗教」の要約であったといってよいでしょう。(P241)