とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

なぜ若者は保守化するのか

 週刊東洋経済に、小泉郵政選挙直後の2005年10月から民主党政権交代のあった2009年10月までの間、連載されたコラムを集めて掲載した本。「第1部 若者が危ない」と「第2部 先送りされる格差・少子化問題」の2部構成だが、内容的に差異はない。面白いのは、どちらも最新掲載のコラムから順に掲載されていること。だが古いものでも十分読み応えがあるのは、この5年間の時代潮流に大きな変化がなかった。逆に言えば、この間の政府は希望をなくしつつあるこの国の現状に対して、何も変化を加えることができなかった、ということ。
 「終わりに−民主党政権は、追い詰められた若者を救えるのか?」で、『私は、前回小泉自民党を圧勝させ、今回民主党を圧勝させたのは、「従来の利益配分構造から漏れてしまった人々」の投票行動にあると考えている。(P229)』と書いてあるが、こうした生活弱者に視点を据えた論考がさまざま角度を変えて並べられている。そのどれもが思わずそのとおりと膝を叩きたくなる内容であり、わかりやすい語り口とともにすんなり頭と心に入ってくる。
 斬新な視点を提示したり、問題を指摘するだけのコラムもあるが、「ポイント不滅の年金マイレージ制」や「公務員27歳採用制」など思い切った提案も見られて楽しい。これらの政策が本当に実現できればいいのだが。
 文中にあった、「国と国民との信頼関係」や「既得権益の打破」の重要性を思い知る。今変革できないと、それこそグローバル化の時代、優秀な人材は海外へ脱出を図るような状況にならないとも限らない。問題は語学力か。文化的鎖国状況が日本という国自体を過疎化、限界集落化へ追い込まないとは言えない。娘には何とか生き延びる術と才覚を身に付けておいてほしいと切に願う。

なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望

なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望

●今の若者が行っているのは、自立を目指し、自分の能力を発揮するための競争ではなく、既得権(依存先)を得るための競争としか言いようがない状況なのだ。(P31)
●バウマンは前近代社会では、職業や家族は個人の肉体の時間を超えて続くものであったという。代々の職業、代々続く家系は、自分の人生を越えて続くはずのものであった。・・・しかし仕事と家族が流動化している現在、自分の肉体のみが、自分が生きている間続く唯一の自分の「持ち物」となる。自分が自分であるところの拠り所として、身体への関心が高まるのもこのような理由からである。(P36)
●いっそのこと、大企業や公務員は一定の年齢(たとえば27歳)になるまで正規職員になれないと法制化してしまったらどうだろう。・・・卒業後、一度は中小企業に就職するなり、ノンキャリアの職に就きながら27歳以降の受験チャンスを待つ。・・・教員も新卒採用をやめて、社会に一度出て、現場をよく知った人材を採ったほうが、本人や生徒のためにもよいシステムになると思うのだが。(P43)
●日本では、働かなくても食べられるだけの社会保障があれば、怠ける人が増えるという前提で制度が構築されている。・・・オランダのように、政府が国民を信頼していれば、失業者に手厚い生活保障をしても問題は起きないはずだ。先の例に見るように、失業給付で生活しながらボランティアで社会に貢献する人が出てきてもよいとオランダ政府は考えているのだ。(P138)
●世界で通用する才能のある人は、国境を越えて自分の才能が最も伸ばせ、最も自分を買ってくれる国・地域に移動する時代が来る。国力は高い能力を活躍させる場を提供できるかどうかにかかってくる。日本でそれがなかなか進まないのは、「心理的なためらい」と日本語しか話せないという語学能力のせいではないか。(P159)
●労働者受難の時代が続けば、「労働する意欲」がなくなってしまうだろう。ニートフリーターが増加し、専業主婦志向の女性が増え、年金受給者が幅を利かすのも、消費者中心主義が一因ではないだろうか。(P221)