とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

主審告白

 家本主審と言えば、今年の天皇杯決勝で審判を担当していた。協会の家本氏に対する最近の信頼を表わす指名だが、私には本書にも書かれているとおり、2008年ゼロックススーパーカップのレフェリングが問題となって、Jリーグの審判無期限停止処分となったことがまず思い出される。が、それ以前からファンの間では評判の悪いレフェリーだった。
 それは多分、反則に対して厳格過ぎたからだと思うが、確かに家本氏が主審を担当したゲームは荒れたり、サポーターからミスを指摘されたりすることが多かったように思う。「家本かよ」というのは、スタジアムで審判名を聞いた後に必ず聞くフレーズだ。
 先日、Jリーグ今シーズンの最後の残留を争う重要なゲーム、ヴィッセル対レッズを観たら、家本氏が主審を担当していた。既に本書を読み始めていたため、どんなレフェリングをするか、ある程度予想はしていたが、そのとおりのゲームの流れを重視するレフェリング。ファールを流すことも多く、選手とのコミュニケーションを取る姿がたびたび見られた。家本氏も変わったな、と思った。
 別にこれで家本氏の支持者になったわけではない。セレッソジュビロを担当した奥谷氏はこれを最後に引退をするそうだが、このゲームでのレフェリングも穏当なものだったし、同様に今年で引退する岡田主審ですら、昨年のフロンターレアントラーズ戦の雷雨サスペンデッドの判断など、疑問に思う判定も少なくない。
 アンリのハンド事件など、サッカーの審判は世界的にも話題になることがたびたびある。そういう職業なのだ。だからそれにオタオタする姿は見たくない。でも本書では家本氏がオタオタするタイプの人間だということがよく見える。
 2010年5月、ウェンブリーでイングランド対メキシコの親善試合の主審を担当したと言う。その経験と自信を基に、本書の発行を引き受けたのだと思う。家本正明・著と書かれているが、実際は構成の岡田康宏氏によるインタビューを構成したものである。本書を読んで感じられるのは、家本氏が真面目で一途で、しかし視野が狭く、自意識が高くナルシストな面を持ち、スピリチュアルに嵌りやすいタイプだなということ。
 一言でいえば、ナイーブ過ぎるのだ。主審としてナイーブ過ぎるのは辛くないかと思うのだが、本人は「(自分は)国内よりも海外で評価されるタイプなのかもしれません」と言っているから、まあいいか。多分日本人の審判の多くは海外での評価も高いだろうと思うが。
 本書は家本主審が書いたということで出た当初から興味はあった。が、家本氏だし、という気持ちもあった。図書館で見つけ読んでみた。家本氏という人間がどういう人間かよくわかった。だが、そこまで。期待していた審判の深さや重さなどはあまり感じられない。家本氏が「僕を認めて! 僕って意外にえらいでしょ」と言い続けているような本。
 あとがきで、「岡田さんの視点で・・・書いてください」という家本氏の希望にも関わらず、「取材を重ね彼の話を聞いていくうちに、なぜ彼がこれほど悪い印象を引き受けることになってしまったのか・・・納得できた。」(P237)と書かれている。なぜ、家本氏の希望にも関わらず、岡田氏が家本氏の話をそのまま書き写すことにしたのか理解できる。まさに赤裸々。しかし家本氏はそれを望んでいたのだろう。またはそれしか表現のしようがなかった。だからけっして読んで楽しい本ではない。タメになるわけでもない。「主審告白」とは、いったんは厳しい処分を突き付けられた審判による「弁明」や「反省」の意味ではなく、ただ「赤裸々」という意味なのだ。

主審告白

主審告白

●さまざまな情報はレフェリーに集約され、レフェリーが判断して決定していく。運営上必要な情報(予想観客数、警察・警備員・救急隊員の数と配置、緊急避難の導線と方法、カメラの数とポジション等)でさえ、試合前レフェリーに報告されるのです。試合会場運営は別の人、レフェリーは試合さえコントロールすればいいというのではなく全責任を持っている、という意識を強く意識付けられました。(P1)
●ピッチの中で、あの距離でサッカーを感じられるのって限られた人間だけじゃないですか。選手のぶつかり合いとか技術が見れたりだとか戦術にあの距離で触れられるんだから、・・・それは面白いですよ。だって監督でさえあの中には入れないわけですから。(P78)
●カズさんやラモスさん、中田(英寿)さんや中村(俊輔)さん、宮本(恒靖)さんなんかがレフェリーとしてフィールドに立ったら素晴らしいことだと思うし、素晴らしいレフェリーになれると思うんです。(P180)